うそつきな



 双子になんて、生まれるものじゃない。果枝(かえ)を見るたび、つくづくそう思う。

 もちろん、いいことだってたくさんある。それはわかっている。
 多くを語らなくてもお互いを理解できるのは、やっぱり双子だからだと思うし、誰よりも近しいかけがえのない存在として、とても愛しいと思う。
 だけど。
 見た目は瓜二つなのに、自分にはない美点を数多く兼ね備えている自分の片割れを見るたび、どうして双子として生まれてしまったのか、自分の運命を呪いたくなってしまうのだ。

 果枝と私は、外見だけはそっくりだ。まあ、一卵性双生児だから当然といえば当然かもしれない。でも、その中身はというと、まったくと言っていいほど違う。
 例えば、果枝は喜怒哀楽がはっきりしていて、表情も豊かだ。特にその笑顔は絶品で、果枝が笑うと、周囲にいる人も自然に顔がほころんでしまう。
 そんな果枝だから、彼女のまわりにはいつも友達が大勢いる。同性にも異性にも友達が多くて、いつ見ても誰かと楽しそうに話している。
 一方の私はというと、感情を表に出すのが苦手で、人と話すのもあまり得意じゃない。二人分の社交性を、生まれるときに全部果枝が持っていってしまったんじゃないかと思うくらいだ。
 当然、友達もあまり多くはない。果枝と共通の友達もいることはいるけれど、私が果枝の双子の姉だからということでつきあってくれているような気がする。

 快活でどこにいても目立つ果枝と、地味で引っ込み思案の私。そんな二人を双子としてこの世に生まれさせるなんて、神様は本当に意地悪だ。

 それでも、大学生になった今は、随分気が楽になったと思う。
 高校までは学校指定の同じ制服を着ていたから、あちこちでよく果枝と間違われたりした。
「私、果枝じゃありません。花枝(はなえ)です」と答えると、相手は決まってがっかりした顔をして黙りこむ。その表情は、いつも私の心を傷つけた。
 そして、傷ついているということを他の人に知られたくなくて、平気なふりをすることばかりがうまくなってしまった。
 大学に入ってからは、学部こそ同じ文学部だけど専攻は違うし、カジュアル派の果枝に対して私はフェミニン好きと、洋服の好みもまるで違うから、間違えられることは格段に少なくなった。それでも、ゼロではないというのが、悲しいところだけど……。


 金曜日。
 一コマ目の体育の授業を終えると、私と果枝はそれぞれ別の講義室へと向かった。
 体育や必修科目はともかく、選択科目は英米文学専攻の果枝と国文学専攻の私とでは大きく異なる。次の時間は、果枝は西洋史学を、私は東洋文学を選択していた。
 果枝の選択している西洋史学はかなり人気があるらしく、この大学で一番大きな講義室がいつも満員になるらしい。講義時間を大幅にオーバーして、昼休みが短くなってしまうことも良くあるけれど、それでも脱落していく学生はほとんどいないそう。
 その割を食ってか、東洋文学の講義室には学生の姿はまばらだ。でも、私はこの講義が結構気に入っている。
 果枝との共通の友人もみな西洋史学を取っているから、彼女たちと離れて受ける講義は気が楽だというのも理由の一つではあるけれど。
 それ以上に、東洋文学の講義内容は、私にとって魅力的だったのだ。
 老年にさしかかった教授が素朴な口調で語る物語は、どれもスケールが大きく、壮大なロマンに満ちていた。絵師に賄賂を贈らなかったために異民族に嫁ぐことになった王昭君の悲劇には思わず涙したし、その才能を手に入れんとして何万もの兵を挙げた前秦が滅んだために、結果的に彼を中心とした国が建てられることとなった僧、鳩摩羅什の数奇な運命には、実に驚かされた。
 それに加えて、教授の人柄がとても魅力的だった。訥々とした語り口、老眼鏡越しの柔和な眼差し、研究対象に向ける不器用なまでに真摯な態度。年長者に対してこんな言い方は失礼に当たるかもしれないけれど、たまらなくキュートでチャーミングなお爺ちゃんなのだ。
 おかげで、最初の一ヶ月が終わる頃には、私はすっかり老教授の講義のとりこになっていた。
 同じように思う人も多いのか、元々少人数ではあったものの、受講する学生の数はそれ以上減ることもなく、ある意味アットホームな雰囲気で毎回講義は進められていた。

 そして──
 数少ない受講生たちのその中に、私がひそかにいいなと思っている人がいた。
 その人は、階段状の講義室の中央のブロックの前方の席にいつも陣取り、興味深そうに教授の話に聞き入っていた。私は窓際のブロックの中程に席を取るのが常なので、教壇に目を向けると、自然とその人の姿が視界に入ることになる。
 最初は、熱心に聞いている人がいるな、としか思わなかったのだけど、自分が笑ったくだりでその人も楽しそうにしているのを何度も目にするにつれ、面白いと感じるポイントが私と非常に似た人なのだと気づき、嬉しくなってきた。
 それ以来、その人の姿をそっと目で追うことも、金曜日のささやかな楽しみになった。名前を知らないから、「金曜日の君」とこっそりあだ名を付けて。

 今日も、講義室に入るなり、私はその人の姿を求めて前方に目をやった。けれど、彼の定席にその姿はなく──
 ……まだ来ていないのかな。
 首をひねりながら、私はいつもの席についた。
 その人がいつ来るのか、気にしながら講義の開始を待ったけれど、教授が壇上に現れても、その人は姿を見せなかった。
 少し残念に思ったのも束の間、教授の話が進むうち、私はその内容に引きこまれ、やがてその人のことも意識の中から消えていた。
 講義が始まって二十分ほど経過した頃、前の席から出席表が回ってきた。
 この講義では、出席をとる代わりに毎回こうして出席表が回される。受講者は、そこに自分の学部、学籍番号、氏名などを記入していく。
 いつものように必要事項の記入を済ませると、私は次の人にそれを渡すため、後ろを振り向いた。そして、そこに意外な人物を発見し──思わず言葉を失った。

 ……どうして? どうしてこの人が私の後ろの席に座っているの?
 一瞬にして、頭の中が真っ白になる。「金曜日の君」その人が、そこにいたからだ。
 怪訝そうな顔をするその人に出席表を無言で手渡すと、私はそそくさと前に向き直った。
 そっと胸に手を当てて、息を整える。後ろに座るその人に、動揺を気取られないようにしなくちゃ。
 なんとか気持ちを落ち着かせはしたものの、背後の気配が気になって、講義にまったく身が入らない。せっかく楽しみにしていた時間なのに、講義の内容はほとんど頭に入らなかった。
 多分、講義の開始時間に遅刻してきたから、前の席に移動できず手近な席に座っただけのことなのだろうけど、なんて罪作りな行動なんだろう。

 そうして、上の空の状態のまま、講義は終了時間を迎えてしまった。
 ため息を零しつつ、荷物を手に席を立つ。昼休みには、果枝と一緒に学生食堂で昼食をとることになっていた。果枝の講義は今日も長引くだろうけど、先に行って席を取っておかなくてはならない。
 「金曜日の君」と目をあわさないようにしながら、そそくさと後ろの出口に向かう。他の学生に混じって講義室を出ようとした途端、背後から声をかけられた。
「……伊藤さん!」
 この講義の受講生の中には知り合いはいないはずなのに、いったい誰だろうと訝しく思いながら振り返る。と、そこに立っていたのは、「金曜日の君」その人だった。
「あ……の?」
「伊藤さん、だよね? 文学部の」
「そう、ですけど……」
 どぎまぎしながら答える私に、その人は惜しげもなく笑顔を向ける。少し低めの声が、耳に心地好い。
「法学部二年の倉内です。よろしく」
 こちらこそ、と答えながら、こっそりと相手を観察する。
 ハーフリムの眼鏡を掛けたその目は知的で優しげで、遠目に見ていたときよりもずっと親しみやすそうな雰囲気を湛えているのが分かる。軽く綻んだ口許からのぞく白い歯も、気取りすぎない服装も、清潔感を醸しだしていて、好感が持てる。
 そうしている間にも、私の横をすり抜けるようにして他の学生たちが講義室を出て行く。私たちが出入り口を塞いでしまっていることに気付いた倉内さんは、困ったように肩をすくめて見せた。
「邪魔になっているみたいだから、移動しながら話そうか」
 頷いて歩きだす。講義室のある教養学部本館を出て、図書館の方に足を向ける。どうやら倉内さんもこれから図書館下の学生食堂に向かうらしい。
 それにしても、どうして急に声をかけられたんだろう。同じ講義を受けていること以外、私たちには何の接点もないはずなのに。確かに、ずっとこの人と話してみたいなと思っていたけど、それはあくまで私の一方的な思いに過ぎないのに。
 ぼんやりと考えていると、倉内さんが口を開いた。
「花に枝と書いて『かえ』と読むなんて、珍しいよね」
 思わず足が止まる。ああ、そういうことなんだ。この人も、私と果枝を間違えているんだ。私に用があった訳じゃない。ただ、果枝と話したかっただけなんだ──
 どうして。どうしてこの人まで果枝なの。どうして、私じゃ駄目なの。果枝のように誰からも好かれたいなんて、そんな贅沢は言わない。ただ一人、思う人に気に入られたいだけなのに、そんなささやかな願いさえ叶えられることはないの? 胸が締めつけられるような思いを抱えて、私は暫し立ちすくむ。
 不意に黙りこんでしまった私を気遣うように、倉内さんが私の顔を覗きこんだ。
「伊藤さん? どうかした?」
 レンズ越しに倉内さんの目を見つめ返す。言わなくちゃ。私は果枝じゃないって。そう思うのに、どうしても口が動かない。
「大丈夫?」
 心配そうに問い掛ける倉内さんに無言で頷くと、私は何でもない風を装って再び歩きだした。
 ごめんなさい。もう少しの間だけ、果枝の振りをさせて。花枝だと名乗って、落胆するこの人の顔を見たくない。
 倉内さんと果枝に対する罪悪感を抱えたまま、果枝の振りをして談笑を続ける。私はどうしようもない嘘つきだ。
 でも、あと少しだけだから。食堂の前まで来たら、何事もなかったように笑顔で別れる。その後は、もうこの人と話すこともないだろう。それまでの間だけ、果枝でいさせて。
 心の中で言い訳をしながら歩を進めるうちに、学生食堂が見えてきた。じゃあここで、と言いかけた時、前方から思いがけない声がかかった。
「花枝!」
 慌てて見回すと、食堂の入り口の前に立つ果枝の姿が目に飛び込んできた。
 何故? 西洋史学の講義はもっと長引くはずなのに、どうして果枝がもうここにいるの?
 驚いて立ち尽くす私の前に、果枝が飛ぶように駆けてきた。
「びっくりした? 先生が午後から用事があるらしくて、今日は早めに終わったの。花枝の分も席を取っといたから、早く行こう」
 果枝に手を引かれて呆然とする私に、倉内さんが戸惑った様子で問い掛けてきた。
「はなえ、さん? かえさんじゃなくて?」
「果枝は私ですけど?」
 振り返った果枝が、誰、とでも言いたげに私と倉内さんの顔を交互に見る。
 二人の視線が私に突き刺さる。これ以上この場にいることに耐えられなくなって、二人に向かってごめんなさいと叫ぶなり慌てて駆けだした。
 食堂に背を向けて、来た道を逆に走る。食堂に向かう学生たちに怪訝な目で見られたけど、今はそんなこと気にしていられない。
 恥ずかしい。倉内さんにも果枝にも、あわせる顔がない。
 きっと、罰が当たったのだ。嘘をついて、果枝の振りをした。果枝を羨んでばかりで自分からは何もしようとしなかった、嘘つきの意気地なし。こんな卑怯者の私が、倉内さんに気に入られたいだなんて、図々しいにも程がある。
 果枝の振りなんかしたって自分がますます惨めになるだけなのに、私はなんて馬鹿なんだろう。
 足元も見ずに走っていた所為で、小さな段差に蹴躓く。転ぶのを覚悟して目をかたく瞑った次の瞬間、私の身体は大きな腕に抱きとめられていた。
「大丈夫?」
 振り向いたその場所に倉内さんの姿を認め、私はお礼を言うのも忘れて馬鹿みたいに立ち尽くした。
「急に走り出すから驚いたけど、なんとか追いつけて良かった」
 怒る様子もなく語りかけてくる倉内さんに、むきになって尋ねる。
「どうして、どうして追いかけてきたの?」
 私の剣幕に驚いたような顔をした倉内さんは、それでも穏やかな態度を崩さない。
「どうしてって、話がまだ途中だったしね」
「でも、倉内さんは果枝と話したかったんでしょう、私じゃなく。だったら、果枝と話していればいいのに」
 倉内さんは不思議そうに首を傾げた。
「どうしてそこで果枝さんが出てくるの? そんなことないよ」
「だって、『かえ』って呼んだじゃない。だから、だから私……」
 話しているうちに気持ちが昂ぶって、涙が出てきた。いきなり涙ぐんだ私に慌てた倉内さんは、近くにあったベンチに私を座らせた。
「ちょっと落ち着いて。……ああ、何から話せばいいのかな」
 自分もベンチに腰を下ろしながら、倉内さんは懸命に言葉を探しているようだ。
「『かえ』と読んだのは、ごめん、人違いをしたんだ」
「私を果枝と間違えたんでしょう? だったら、こんなところにいないで果枝と話せば」
「いや、そうじゃないんだ」
 私の言葉を遮って、倉内さんが続ける。
「話したかったのは君で合ってる。間違えたのは、名前の方なんだ」
「名前を間違えたって……どういうこと?」
 倉内さんは困ったように眉根を寄せた。少しの間の後、躊躇いがちにその口が開かれる。
「以前君を食堂で見かけたとき、たまたま一緒にいた文学部の友人に聞いてみたんだ。そうしたら、一年の伊藤果枝だって教えてくれた。今思えば、多分果枝さんもその場にいたんだろう。でも僕はそれに気付かず、君の名前が『かえ』なんだと思い込んでしまった」
 確かにそういうことはあるかもしれない。私が学生食堂に行く時はほとんどの場合果枝も一緒だし、私と違って果枝は顔が広いから、一年上の学部生にも名前が知られている可能性はある。
「間違いがないように、念のために東洋文学の出席票も見たのに、その思い込みのせいで『花枝』と書いて『かえ』と読むんだと勘違いしてしまったんだ。最初から出席票を見ていれば、名前を勘違いすることも、それで君を泣かせることもなかったはずなのにね」
 ああ。それで今日はいつもの席でなく、私の後ろの席に座っていたんだ。遅刻してきた訳じゃなく。
 そう考えて、ふと気づく。
「じゃあ、倉内さんは本当に私と話すために声をかけてくれたの?」
 倉内さんはこちらを向くと、苦笑を漏らした。
「さっきからずっとそう言ってるんだけど。まだ信じられない?」
 私は小さく首を振る。私だって信じたい。信じたいけど。
「……どうして私なの? 果枝じゃないの?」
 頑なな私の態度に焦れたのか、倉内さんが大きく息をつく。
「僕も聞きたいんだけど、どうしてそうやってすぐに果枝さんを引き合いに出すの? 君は君なのに」
「だって」
 唇を噛んで、視線を落とす。
「私たちの周りの人はみんなそうだったもの。私なんかより、果枝と話す方がずっと楽しいからって」
 倉内さんがベンチから立ち上がる気配がした。さすがに呆れられてしまったかもしれない。そうよね、こんなうじうじした女の子と話しても、この人だって楽しくないに決まってる。
 でも、意外なことに倉内さんはそのまま立ち去りはしなかった。それどころか、私の足元に屈み込んで、私の目をじっと見つめてこう言ったのだ。
「僕が話したかったのは、会ったこともない果枝さんじゃなくて、東洋文学でいつも窓際の席に座っている女の子だよ。同じ話で同じように笑う子だから、きっと気が合うと思った。……君もそう思わない?」
 その真剣な眼差しに、嘘はないような気がした。そしてそれ以上に、この人が私と同じように感じていてくれたことが、この上なく嬉しかった。
 だから、勇気を出して私も気持ちを打ち明けることにした。
「……私も、そう思う。ずっと、そう思ってた」
 それを聞いて、倉内さんは嬉しそうに笑いながら立ち上がる。
「良かった。じゃあ、食堂に戻ろうか。きっと果枝さんも心配してる」
 頷いて私も腰を上げる。ついさっき通った道を二人で戻っていると、倉内さんが思い出したように声をあげた。
「そうだ、さっきの講義のノートとってる? なんて言って声をかけようか考えてて、全然聞いてなかったんだけど」
 つい吹きだしてしまって、倉内さんに軽く睨まれた。
「どうせヘタレだよ、悪かったね」
「違うの、そうじゃないの」
 もの問いたげな目を向ける倉内さんに、照れ混じりの笑顔を向ける。
「私もなの。私も、後ろの席の人が気になって、ほとんど聞いてなかったの」
 私の言葉に、倉内さんも面映ゆそうに顔を綻ばせた。


 嘘つきな花がつけた小さな蕾が、私の胸の中で、今ゆっくりと開き始めている。


うそつきな ─終─



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