ンタクロースをちながら



 12月ともなると、街はクリスマス一色になる。
 11月の中頃から、すでにその気配は見られるけれど、やはり12月にはいると、その比ではない。デパートには大きなクリスマスツリーが飾りつけられ、ケーキ屋にはクリスマスケーキの見本が出回り始める。チキンで有名なファーストフードチェーンでは、トレードマークのおじさんがサンタクロースの扮装をしていたりする。
 ショーウィンドウには、白いスプレーでトナカイとサンタの絵が吹きつけられるが、子供たちが面白がってはがしてしまうので、クリスマス当日までに見るも無惨な姿になっているのも、この時期の風物詩のようなものだ。そして、何より、街にクリスマスらしさを与えるのは、音と光だ。
 商店の店先では、昼間から「ジングルベル」や「きよしこの夜」、はたまた「もろびとこぞりて」といった曲がひっきりなしに流れる。やがて、夜ともなると、それに光が加わるのだ。赤やら青やら黄色やらの電飾が街を彩る。街全体が、一つのツリーのようになる。音と光の洪水。それこそ、街中お祭り騒ぎ、といった感じだ。
 そんな街の浮かれようを快く思わない人も、中にはいることだろう。しかし、大抵の人々は、その様子を目にし耳にするたび、やがて訪れるクリスマスを思い、楽しい気分になるのだ。
 この話の主人公、吉野ちふみも、そんな一人だった。
 ちふみは、あるファーストフード店でアルバイトをしている。店頭で「いらっしゃいませ」と愛想を振りまく売り子のバイトである。クリスマスには、売れ残ったチキンがもらえるだろう。ちふみは、それが楽しみだった。
 ──やっぱり、クリスマスには、七面鳥、とはいかないまでも、チキンがなくっちゃ。あと、ツリーとケーキ、それにプレゼント。少なくとも、それだけは揃ってないと。なにせ、年末の一大イベントなんだから。
 バイト先の店頭から見える、大通りを挟んで向かいの店は、アンティークショップである。いつもならわりに殺風景なその店にも、さすがに時節柄、クリスマスらしい商品が並べられている。サンタクロースの置物や、ガラス細工の小さなツリーや。
 中でも、ちふみの目を引いたのは、金色の小さな燭台だった。4本ほどろうそくが立てられるようになっていて、そのろうそくに火をつけると、その熱風で、上についている小さな風車がくるくると回るのだ。その風車には、天使の飾りがついていて、とても可愛らしい。
 くるくるくる、天使がおどる。ゆらゆらゆら、炎がゆれる。いかにもクリスマスといった風情が、なかなか良い。
 ……うちにも、あんな感じのがあったっけ。うちのは天使じゃなくって、たしかサンタさんの飾りだった。パパがクリスマスにどこかで買ってきてくれたんだ。あれ、どこへやっただろう。
 ちふみは、どうしても思い出せなかった。ここ数年見た記憶がないから、もしかしたら、捨ててしまったのかもしれない。だとしたら、とても残念なことだ。

 その日のバイトが終わると、ちふみは向かいの店のショーウィンドウにかじりついて、その燭台をじっくり眺めた。金色にきらめく天使たち。細かい飾りが、時折しゃらんと音をたてる。
 ……やっぱり、似てる。うちにあったのは、もうひとまわり小さかったような気もするけど。それでも、やっぱりよく似てる。
 いいな、ろうそくの炎って。あたたかい感じがするよね。ツリーの電飾もきれいだけど、しょせんは作り出された人工の光だもの。ろうそくの光のあたたかみにはかなわない。
 ちふみは、ろうそくが好きだ。揺らめく炎でろうそくのろうが少しずつ溶けて、だんだん短くなっていくのを見つめるのが、好き。見ているだけで、あたたかな気持ちになれる。それだけで、幸せな気分になれるよ。
 ……そういえば、小さい頃、パパにねだってサンタさんの形のろうそくを買ってもらったことがあったっけ。でも、一度火をつけたら、サンタさんの頭の先が溶けてきて、かわいそうになってあわてて消してしまった。それ以来、そのろうそくは、机の上の置物になっている。
 そう。ちふみは、サンタクロースも大好きだ。17歳にもなって、って笑われるかもしれないけれど、その存在だって、半分くらい信じてる。ちふみの子供っぽい性格のせいもあるけど、サンタクロースを信じているのは、半分以上パパの影響なのだ。パパが、サンタさんはいるって言ったから、ちふみはずっとそれを信じているのだ。
 あれは、10年ぐらい前の話になる。小学校1年生の冬。ちふみが友達とサンタクロースの話をしていると、同じクラスの男の子が、ちふみをからかった。
「サンタなんてなー、本当はいないんだぞ。いつまでもそんなの信じてるなんて、おまえ子供だな」って。「プレゼントだってな、おまえが寝てる間に、お父さんかお母さんが置いてるんだぞ」そうも言った。
 ちふみは、その日家に帰ると、泣きながらパパに尋ねたのだ。
「パパ、みんながサンタさんなんていないって言うの。クリスマスの贈り物なんて、サンタさんじゃなくて、パパやママが夜中にこっそり置いてるんだって言うの。パパ、そんなの嘘よね? サンタさんは、いるのよね?」
 それを聞いたパパは、にっこり微笑むと、ちふみを膝に乗せ、真面目に答えてくれた。あの時のパパの優しい口調を、今でもちふみは覚えている。たしか、パパはこんなふうに言ったのだ。
「そうだよ、ちふみ。サンタさんは、本当にいるんだ。ただ、サンタさんはとても忙しいから、毎年みんなのところには来られない。だから、サンタさんの代わりにパパたちがちふみにプレゼントをあげてるけど、それは、サンタさんがパパたちにそうしなさいって言うからなんだよ。
 いいかい、ちふみ。サンタさんは、本当にいるんだ。サンタさんのことを信じて、クリスマスの贈り物をもらうたびにサンタさんに感謝する気持ちをいつまでも忘れないでいれば、いつか必ず、誰にだってサンタさんは訪れるんだ。
 いいかい、ちふみ。サンタさんは、本当にいるんだよ……」
 そう言って、ちふみを抱きしめた時のパパのぬくもりを、今も忘れない。あの時のパパの優しいまなざしも、やわらかな微笑みも、あたたかな手のぬくもりだって、つい昨日のことのように鮮やかに思い出せるのに。
 そのパパは、もういない。あたたかくてやさしい想い出だけを残して、パパは7年前に病気で逝ってしまった。だから、パパと一緒にクリスマスを迎えることは、もうできない。クリスマスのごちそうを食べたあと、パパの弾くピアノを聞くこともできないのだ。
 パパは、ピアノが得意だった。クリスマスの晩には、いろんなクリスマスソングを弾いてくれて、ちふみとママがそれにあわせて歌をうたった。そうやって、サンタさんが来るのを一晩中待つのだ。残念ながら、サンタさんが来てくれたことは一度もなかったけど、家族三人で過ごすその夜は、とてもしあわせだった。
 ろうそくにともされた炎があたりをほのかに照らし、パパのピアノのやさしい音色が部屋中を満たす。それだけで、他にはもう何もいらないくらい、しあわせだった。──だった? ううん、過去形なんかじゃない。今でも、思い出すだけでしあわせよ。あたたかい、大切な思い出。
 ちふみは、そっと目を閉じた。なつかしいクリスマスの情景が脳裏にうかぶ。
 パパがピアノを弾いていて、そのそばでちふみとママが歌っている。三人とも、とても楽しそうだ。ピアノの上には金色の燭台が置いてあって、そこに立てられたろうそくの灯りが、家族三人をあたたかく包んでいる。永遠に消えることのない一枚の絵のように、その情景はあざやかにちふみの心に残っているのだ。
 目を開いて、もう一度その燭台をながめて──ちふみは決心した。
 今月のバイト代で、この燭台を買おう。終業式の後銀行に行ってお金をおろして、バイトが終わったらまっすぐここに来よう。そして、家に帰ったら、すぐにテーブルに燭台を飾ろう。母さんも、きっと喜んでくれる。
 ちふみはさっそくその店に入り、24日までその燭台をとっておいてもらえるよう、お店のご主人にお願いをした。人のよさそうな初老の店主は、こころよく承知してくれた。

 12月24日。クリスマス・イヴ。
 バイトを終えると、チキンの入った箱を抱えて、ちふみは向かいのアンティークショップにすぐさま駆けこんだ。お店のご主人は、ちふみに気づくと、にっこりとほほえんだ。
「メリー・クリスマス! そんなにあわてて、どうしたんだい」
「あの……表のウィンドウに燭台がないんですけど……もしかして、売れちゃったんですか?」
 ちふみは、今にも泣き出しそうだった。
 夕方見た時は、まだ飾ってあったのに。こんなことなら、先に買っておけば良かった……。
 悔やむちふみに、店主がやさしく笑いかける。
「大丈夫。約束だからね、ちゃんと取ってあるよ。そろそろ取りに来るだろうと思ってね、包んでおいたんだよ。ほら」
 と、カウンターの後ろから、ラッピングした箱を取り出す。
 深緑色の包装紙に、黄色と赤の細いリボンがかけてある。結び目のところには、ヒイラギの葉っぱがそえられていて、とても可愛らしい。
 ちふみは、思わず声をあげた。
「わぁ……かわいい。ありがとうございます。長い間とっておいてもらった上に、こんなラッピングまで……」
「クリスマスだからね。今日は特別なんだよ」
 代金を払い、にこやかなご主人に何度も何度もお礼を言ってから、ちふみは店を出た。
 街は、ずいぶんとにぎやかだった。街をゆく誰もが、楽しそうに笑っている。幸せそうによりそうカップルや、仲の良さそうな家族連れ、楽しげにおしゃべりしながら歩く学生たち……。いろんな人が、それぞれ思い思いにクリスマスを祝っている。
 どこからか、「サンタが街にやってくる」のメロディが流れてきた。
 それに合わせて鼻歌を歌いながら、ちふみは足取りも軽やかに、自宅へ向かう道を歩き始めた。

 母と二人で暮らすアパートの二階の部屋に着き、台所のストーブを点けると、ちふみはまず奥の部屋に向かった。机の上に飾られた写真に「パパ、ただいま」と声をかけてから、マフラーをはずす。それから、制服の上に羽織っていたコートを脱ぎかけて──大変なことに気がついた。
 燭台を手に入れたのはいいけど、ろうそくを買ってくるのを忘れた。うちには、仏壇用のろうそくか、例のサンタさんのろうそくしかないから、帰りに買おうと思っていたのに。クリスマス気分で浮かれていて、すっかり忘れてた。
 あの燭台に、仏壇用のろうそくじゃ、さまにならない。そうは思うものの、せっかく部屋も暖まってきたというのに、また寒い屋外に出ていくのは億劫だった。……仕方ない。今年は、ろうそくに関しては目をつぶるか。
 そう決めてしまうと、ちふみは急いで部屋着に着替え、さっき買ったばかりの燭台の包みを手に、台所に戻った。テーブルの上にチキンの箱と包みを置き、満足げに笑みを浮かべる。……うん、なかなかクリスマスらしくなってきたじゃない?
 テーブルには、小さなクリスマスツリーも飾られている。ケーキは、母さんが仕事帰りに買ってきてくれるはずだから、クリスマスを迎えるための必須アイテムは、それで一通り揃うはず。
 ちふみは、テーブルにおいてあったリモコンに手を伸ばし、CDラジカセの電源を入れた。再生ボタンを押すと、クリスマスソングのピアノ演奏が始まる。……本当は、パパのピアノがあれば一番なんだけど。さすがに、そればっかりはどうしようもないものね。
 静かに流れるピアノ曲に耳を傾けながら、ちふみは燭台の包みを開け始めた。母が帰ってくる前にセッティングしておこうと思ったからだ。
 細いリボンを慎重にほどき、包装紙をはがして箱のふたを開け──ちふみは驚きの声をあげた。
「おじさん……大サービスだ」
 箱の中には、金色のろうそくが4本そえられていたのだ。アンティークショップの店主が気を利かせてくれたのにちがいない。今度会ったら、きちんとお礼を言わなくちゃ。
 さっそくろうそくを立ててみて──ちふみはろうそくに火を点けてみることにした。天使の飾りが回るところを、どうしても見てみたくなったのだ。少しだけ見たら、すぐに火を消すから。本当に、ちょっとだけだから。
 流し台の下の引き出しからマッチ箱を取り出すと、ちふみはどきどきしながらマッチを擦った。火のついたマッチ棒をろうそくにそっと近づけ、慎重に火を点ける。4本全部に火がつくと、燭台の飾りがゆっくりと回り始めた。
 金色の天使達が、きらきらとろうそくのあかりを反射させながらまわる。やわらかな光とあたたかな空気が、ちふみを包みこむ。見ているうちに、なんだかとてもしあわせな気持ちになってきて、ちふみは、すぐに消そうと思っていたことも忘れ、いつしかろうそくの炎に見入っていた。

 ──炎を見ているうちに、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。浅い眠りからさめると、ちふみは小さく身震いした。……いけない。こんなところでうたた寝なんかしたら、風邪をひいてしまって、クリスマスどころじゃなくなっちゃう。あぶないところだった。
 ろうそくの溶け具合からすると、眠っていたのはほんの数分のようだ。細く息を吹きかけてろうそくの火を消したあと、伸びをしようとして、ちふみは自分が右手になにかを握りしめていることに気づいた。
 いったいなんだろう……? ゆっくりと手を開いて──ちふみははっとした。ちふみの手の中には、小さな包みがあったからだ。
 濃いブルーの包み紙に、雪のように真っ白なリボン。それ以外になんの飾りもない、シンプルな包み。それはどう見ても、誰かからのプレゼントのようだった。
 一瞬ためらってから、ちふみは意を決してリボンに手をかけた。ふるえる指でリボンを解き、箱を取り出す。おそるおそる箱を開けると、中にはごくごく小さなクリスマスツリーが入っていた。そっと取り出すと、それが単なる飾りではなく、オルゴールなのだとわかった。
 ツリーの土台の部分を回してネジを巻き、テーブルの上に置くと、ツリーの形をしたオルゴールは静かに曲を奏ではじめた。
 やさしい音色のメロディー。この曲なら、知っている。「The Christmas Song」。日本人の歌手も時々アルバムでとりあげる、クリスマスソングだ。でも……どうして? どうして、こんなものが手の中に? ちふみが眠っている間に、その手にこれを握らせたのは、誰?
 ちふみは、あわてて立ち上がった。これを置いていった人物が、まだ近くにいるかもしれないことに気づいたからだ。なにしろ、ちふみが眠っていたのはほんの数分のことだから。
 部屋のドアを開けて廊下に走り出ると、暗い夜道を遠ざかってゆく人影が目に入った。あの人が、プレゼントの贈り主なんだろうか。でも……あの後ろ姿は。
 赤と白の服に帽子。そして、あのシルエット。あれは、まさか……。
「……サンタクロース?」
 ちふみのその声が聞こえたのか、その人物はゆっくりと振り返った。そして、その顔に微笑みを浮かべて静かにうなずくと、再びこちらに背を向けて歩きだした。
 ちふみは、その場から動くことができなかった。
 あの服装、白いあごひげ、それに大きな白い袋。……間違いない。あれは、サンタクロースだった。そして……なんとも奇妙なことに、その顔は、パパにとてもよく似ていたのだ。単に、パパに似たサンタだったのか、それとも、もしかして……。
 ──そのままどのくらい立ちつくしていたのか。やがて、アパートの階段を昇ってくる誰かの足音が聞こえてきて、ちふみははっとしてそちらに顔を向けた。すると──
「……ちふみ? この寒いのに、そんなところでなにしてるの?」
 ケーキの箱を抱えた母が、目の前に立っていた。
「母さん……」
「さ、早く中に入りましょう。今日は寒かったから、母さんすっかり凍えちゃった」
「うん……」
 寒そうに背中を丸めながら、母は部屋に入っていった。自分もその後に続こうとして──ちふみは、ふと後ろの通りを振り返った。そこには、もう誰の姿もなかった。

 ちふみが部屋に戻ると、コートを脱いだ母が、かじかんだ指先をストーブにかざしながら、嬉しそうにテーブルを眺めていた。
「部屋は暖かいし、ツリーもチキンもケーキもあるし。今日は楽しいクリスマス・イヴが過ごせそうね」
 母の言葉にうなずきながら、ちふみは、今夜起こった出来事をどう説明すべきか迷っていた。
 やはり、正直に話すべきだろうか。こんな話、母さんは信じてくれるだろうか。
 ちふみには、よく分からなかった。でも……たとえ信じてもらえなくても、正直に話そうと思った。きっと、信じてもらえるような気もした。
 だって、今日はクリスマスだから。どんな不思議な出来事も、起こりそうな夜だから。
 こんな夜には、やっぱりこんな夢みたいな話がぴったりだと、ちふみは思った。少し、幸せな気分になった。


ンタクロースをちながら ─終─

クリスマスリース

あとがき

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