話 新生徒会最の事件



「……誰かがあたしを見てる」
 香魚川(あゆかわ)高校の放課後、生徒会室に息せききってかけこんで来るなり、深刻な口調でそう言ったのは、副会長の御園生朝野(みそのお・あさの)である。その時、生徒会室には、会長の進藤良維(しんどう・りょうい)と書記の高崎藤貴(たかさき・ふじき)しかいなかったのだが(とはいうものの、今のところこの三人が、生徒会役員のフルメンバーなのである)、二人とも朝野の出現に振り返りはしたものの、その言葉にはたいして興味を示さなかった。その証拠に、良維は、ん、と言ったきり再び手元の書類に目を通し始め、藤貴は藤貴で、ちらと朝野を横目で見ただけで、何事もなかったかのように生徒会会報の清書を続けていた。
 朝野は、そんな二人の様子を見て、むっとした。もう少し関心をもってくれるものと思っていたからだ。
 気を悪くした朝野は、つかつかと良維の隣、藤貴のむかいの自分の定位置に歩みよると、勢いよくそこの椅子をひき、どさっという音をたてて腰を下ろした。が、その拍子にテーブルが揺れたために、藤貴が顔をあげてにらんでよこしただけで、朝野が期待したような反応は、依然としてどちらからも得られない。
 頭にきた朝野は、早速抗議の声をあげた。
「ちょっと、聞こえてるの、二人とも!」
 たっぷりと間をおいてから、良維が、視線は書類へやったまま、気のない返事。
「聞こえてる。誰かが見てるってんだろ」
「聞こえてたんなら……」
「だからって、別にそんなに騒ぎたてる程のことでもないじゃないか」
 良維のこの言葉は、いっそう朝野の気にさわるものだった。それを知ってか知らずか、良維は続ける。
「どうせ、『あ、あの人は副会長の御園生さん』って思って見てるだけだろ。そんなのいちいち気にしてたらきりないぞ。現に俺だってあちこちで視線をあびてるけど、なんとも思わないし」
「自意識過剰じゃないの?」
 ぽつりとそう言ったのは、藤貴である。これだけ聞くと、厭味な性格のやな女に思えるかもしれないが、決してそうではない。彼女は完璧主義者なため、書類の清書中に邪魔をされると途端に不機嫌になるが、それ以外のときは、穏やかな普通の性格である──良維以外の人間に対しては。
 というのは、藤貴は良維に忠誠を誓っているためで、その態度は、公的にも私的にもかわることはない。西洋の騎士と主君のような双務的な契約による主従関係と違い、とにかくひたすら盲目的に主君に仕えるという日本の封建制度を実に如実に表している──。
 とまあ、これ以上日本と西洋の封建制度の違いについて書いても仕方ない(それに、あまり書くとボロがでてしまう)ので、話を元に戻すが、二人のこういった態度は、朝野を完全に怒らせるのに十分だった。怒りのあまり、朝野は椅子が倒れるくらいの勢いで立ちあがると、早口でまくしたてた。
「違うわよっ! 副会長だからっていう不特定多数の視線なら、あたしだって気にしないわ。あたしが言ってるのは、特定少数の視線なの! 自意識過剰なんかじゃないわ!」
「特定少数?」
 やっと良維が朝野に目を移した。ようやくちゃんと話を聞いてもらえたので、朝野は、満足げに鼻をならしつつ、きちんと椅子に座りなおす。
「なんなんだ、その特定少数ってのは」
「正確に言うとね、特定の一人なんだと思うけど」
 朝野は、最近自分に向けられる視線の感じを思い出しながら説明を始めた。
「廊下なんかを歩いてると、誰かがじっとこっちを見てるのよ。でも、振り返ってみても誰もいなくて。気のせいかと思って歩きだすと、また気配がね、するの。その視線っていうのが……敵意と羨望と悲しみとせつなさが入りまじったみたいな感じでね」
「心当たりはないのか?」
「ないから困ってるんじゃない。なんだか気味悪くて……。さっきも、ここへ来る途中じーっと見られてて……急いで逃げてきたの」
 どれだけ考えても、朝野には自分がなぜそんな目で見られるのかわからなかった。自分に恨みをもつ人物だろうかとも思うが、そうまでされるほど人の恨みを買った覚えもない。
「誰かに見初められた、とか」
 冗談めかして言ってから、良維はにやっと目尻を下げた。
「まっさか、なー」
 朝野は返事に詰まった。
 朝野だって女の子、ひそかに思っている相手に、面と向かってこう言われるのは、やはりつらい。むろん、朝野は良維ひとすじだから、良維以外の人に好かれたところで、どうということもないのだが、そこが微妙なところで、こうはっきり否定されてしまうと悲しくなってしまうのである。
 言葉を失ってしゅんとしてしまった朝野の様子に、良維の方もさすがに少しあせったようだ。あわてていいわけがましく言った。
「もちろん、冗談だぞ、冗談」
 朝野の上目づかいの瞳が、恨みがましく良維を見た。無言の力が良維を圧倒する。
「おい……朝野」
 なんとか朝野の機嫌をとろうとして、良維も懸命になる。
「嘘だってば。大丈夫、朝野はかわいい。美人。こんな美少女を友だちにもって、俺は幸せ者だなあ……っと」
 さすがに、ここまで言ってしまうと、あまりにわざとらしく、かえって逆効果のように思われるのだが。
 良維もそれに気づいたらしく、はっと口をつぐみ、朝野の様子をそっとうかがい見た。
 ところが、朝野ときたら、機嫌を直してしまっていたのだった。よくもまあ、あんな見え透いた言葉で、と良維は少々あきれ顔だが、実はそうではなかった。
 朝野は、嬉しかったのだ。自分の機嫌をとるために、良維が必死になってくれたのが。もちろん、彼の口から出てきた言葉は、あまりにも見え透いたものだったけれど、それでも、それを口にする良維の表情から、それが決して心にもない、まったくのお世辞というわけではない、ということがよくわかったのだ。
 むろん、半分くらいは、ううん、七割くらいは言葉のいきおい、なんだろうけどね。でも、あとの二,三割は、きっと……。
 朝野はなんだかおかしくなって、くすっと笑った。
 なーんて、都合よく考えすぎかしらね。でも、いいんだ。あれが全部お世辞だったとしても、あたしがしゅんとしてしまったとき、良維は本当にあせってくれたもの。困ってくれたもの。それだけで、十分よね。
 などと朝野が考えているとは夢にも思わない良維は、単純なやつだと思いつつも、彼女が機嫌を直してくれたことにほっとして、胸をなでおろしていた。
 そして、二人のやりとりが一段落したのを見て、そちらもなんとか仕事に一区切りついたらしい藤貴が、ペンを置いた。
「──それで?」
「え?」
 いささか唐突な藤貴の言葉に、朝野があわてて問い返す。
「それでって?」
「だから、誰かがあなたのことじっと見てるっていうんでしょう。それって、なにかあなたに対して害を及ぼすわけ? ただ気味が悪いってだけじゃなく、もっとなにか……物理的にあなたに害を与えようとしてるの?」
 おどろいた。聞いてないようで、実は全部ちゃんと聞いてるんだわ、この人。
 驚きとも、感心ともつかぬためいきをひとつもらすと、朝野は彼女の質問に答え始めた。
「うん……別に、あたしに危害を与えようってつもりはないみたい。今のところは。とりあえず、あしのやることなすこと、一部始終を見逃すまいとしてるだけみたいよ」
「そう」
 できあがったばかりの生徒会会報を手に、藤貴は立ちあがった。それを目で追う朝野。印刷機のそばまで歩いていくと、藤貴は朝野を振り返った。
「しばらく様子を見るしかないわね」
「う……ん、それはそうなんだけど」
「なにせ、見てるだけじゃ、仮にとっつかまえたとしても、しらをきられたらおしまいだもの。とにかく、あまり気にしないことよ」
 その言葉にうなずきつつも、朝野はなにか釈然としないものを感じていた。だが、一応藤貴の言うことももっともだと思う。確かに、むこうがなにもしてこない限り、手のうちようがないのだ。
 やれやれ、とためいきをひとつつくと、朝野は、椅子から離れ、藤貴のそばに近寄った。彼女が会報の印刷にてこずっていたからだ。
「手伝うわ」
「ああ、ありがとう」
 藤貴は素直に朝野に場所をゆずった。
 なんといっっても朝野は新聞部部長、印刷機の扱いには慣れている。少しいじってやると、その機械は調子よく動き始めた。
 二人が仲良く働いているのをしばらく見ていた良維が、そのときふと眉をあげた。同時に、朝野と藤貴もさっと後ろのドアを振り返った。
「誰か来る……」
 声に出してそう言ったのは朝野だが、あとの二人も口には出さないまでも、同じことを思っていた。
 誰かが生徒会室を訪れるのは、決して珍しいことではない。ただ、今こちらに向かってやってくる人物は、なにか尋常ではない雰囲気を伴っていたのだ。
 足音がだんだん近づいてくる。生徒会室は廊下の一番奥まった所にあるから、この足音の主がここに向かっていることは、もはや間違いない。
 三人が息を殺して待っていると、足音は生徒会室のドアの前で止まった。
 どんどん、と力強いノックの音。
「どうぞ」
 平静を装って良維が答える。もちろん、その前に机の上の万年筆をさりげなく取りあげたことは、言うまでもない。朝野は胸ポケットにシャープペンシルがあるのを素早く確かめ、藤貴は藤貴で、印刷機の後ろにある木刀に手を伸ばし、背中の後ろに隠し持った。
 ドアノブが回り、勢いよくドアが開けられた。そこに立っていたのは、一人の男子生徒だった。190cmはあろうかという身長に負けず劣らず立派な肩幅。その上に乗っている顔はというと、はっきりした眉に切れ長の目、やや小振りな鼻に、ひきしまった口許と、いかにも硬派っぽい。そう、しょうゆ顔というのはこういうのをいうのかもしれない。
 彼は中に入ってくると、さっとドアを閉めた。その目は中の三人を見比べたあと、良維に固定された。
「おまえが生徒会長の進藤か」
「そうだが」
 万年筆をもてあそびながら答えた良維だったが、視線はしっかりとその男子生徒の上に注がれている。
 そうか、とうなずくと、男子生徒は大股で良維に近づいてきた。三人の間にさっと緊張が走る。
 机をはさんで良維と向かいあう位置までくると、彼はいきなり学生服の内ポケットに手をやり、なにか黒っぽい四角いものを取りだそうとした。
 その動作に殺気のようなものを感じた生徒会役員の面々は、とっさに自分の武器を握りしめる手に力をこめた。
 そして次の瞬間、彼がポケットから手を出した途端、万年筆とシャープペンシルと木刀とが彼にむけて構えられた。向かいあう四人。みなぎる殺気。今にも闘いが始まりそうな気配。
 三人に武器を向けられた男子生徒は、それでもひるむことなく口をひらいた。
「……進藤っ!」
「なんだ」
 そして、手にしたものを良維に突きつけ、お命頂戴とでも言うような口調で、彼は言った。
「俺を経理委員長にしてくれっ!」
 その語気の強さに、思わず、そうはいくか、と言いかけた良維だが、彼の言葉を頭の中で何回か反芻してみて、おや、と思った。朝野と藤貴も同様だった。
 武器を構えたまま三人が彼の手元を見ると、彼が持っていたのは、なんのことはない、単なる電卓であった。
 目が点になった三人に、とどめをさすように、彼は言った。
「俺に経理委員長をさせてくれ!」

 そして。
「俺は明石数央(あかし・かずお)。二年J組だ。珠算三段、簿記一級、得意なことは、電卓の早押し。経理委員長になるために生まれてきた男なんだ」
 三人が落ち着いてから、彼はそう自己紹介した。
 半ばあっけにとられて聞いていた朝野の肩を良維がつつく。振り返ると、良維と藤貴が額をよせるようにしてなにやら相談しようとしていた。
「なあ、どうする」
 声をひそめ良維が言うと、藤貴は、
「殿はいかが思われます」
 と返す。もう『殿』と呼ばれることに慣れて──というよりも、観念して──しまった良維は、少し考えて、答えた。
「とりあえず、様子を見てみようかと思うんだが」
「そうね。それで、どういう人かわかってきてから、結論を出しましょう」
 朝野の答えに満足げにうなずいた良維が、藤貴に顔を向ける。彼女も同意見らしい。
「殿の仰せのとおりに」
「よし、じゃ、そういうことで」
 話が決まって数央に向き直ると、彼はすでになにかの書類に目を通していた。朝野がのぞいてみると、それは全校生徒の個人資料の束であった。生徒会役員以外は見ることのできない機密書類で、奥の棚にしまってあったはずなのだが。いつの間に見つけだしたのだろう。
「良維」
 朝野は隣に座っている良維の袖をそっと引っぱった。振り向いた良維に、低い声で話しかける。
「この人、もう役員になった気でいるんじゃない?」
「ああ……」
 資料をめくっている数央にちらと目をやり、良維は小さくためいきをつく。
「どうするの?」
「どうするって、様子を見るしかないだろう」
 見ると、数央の隣に座っている藤貴も、困ったような表情をその顔に浮かべている。
 やれやれ……と朝野が肩をおとしたとき、数央がぴくりと眉を動かした。
「おや……」
 書類の中から一枚を取りあげ、まじまじと見つめている。
「どうした」
 良維がたずねると、数央はその書類をこちらに渡してよこした。
「一年C組、学籍番号10301、浅井拓未(あさい・たくみ)……この書類がどうかしたのか」
「この書類の右上には、学籍番号が書かれてるだろう」
 数央に言われて見てみると、確かにその通りだった。右上の隅に、小さく番号が振られているのだ。
「当然、その番号順に書類は並んでいるわけだが」
 ここで、数央はあごで問題の書類を示した。
「こいつは、全然違う番号の所にはさんであった。おかしいとは思わないか」
「集めるときに間違えたんじゃないの?」
 朝野の問いかけに、数央は首を横に振った。
「こいつは入学してすぐクラス単位で集められ、生徒会室に持って来られる。そこでクラス順に並べられるわけだが、これは前のクラスの真ん中あたりにあった。教室で集めたときによそのクラスに紛れこむはずはないし、ここで集められたときだって、クラス順に重ねていくときに一枚だけどこかへ行ってしまうなんて、まず考えられない」
「とすると、それ以後に何者かの手によって入れ替えられたというわけか」
 良維は腕組みし、うーんとうなった。
「書類が集められたのが、今月──四月の初め、それ以後は奥の棚に保管されていた。……誰かこの書類をいじったか?」
「いえ、わたしは」
「あたしも触ってないわ。それに」
 思っていたことを朝野は口にする。
「あたしたちのうち誰かが触ったのなら、きちんと元通りに戻すはずよ。それが、そうじゃなかったということは」
「外部の者の仕業……ということになるな」
 朝野の後を受けて、良維が言った。
「生徒会室が開いているとき、つまり役員がここにいるときは、外部の者もたやすく中に入れるが」「いくらなんでも、あたしたちに気づかれずに書類に触れるなんて、まず無理よ」
 予想通りの朝野の答に、良維はうなずく。
「ということはだ、つまり犯人は、この部屋の閉まっている早朝か深夜、あるいは授業中に鍵を開けて忍び込んだことになるな。もちろん、これは、明石が嘘をついていなければ、の話だが」
 良維をはじめ、朝野、藤貴の視線が数央に集中した。が、当の数央はそんなことなどまったく意に介さずといった様子で、なにやら小さな金属質の物を手の中でこねくり回している。
「おい、明石」
 怪訝な顔で良維が話しかけた。
「おまえ、さっきから一体なにをしているん……あ?」
 数央が良維に示したのは、ドアを入ってすぐの所にかけてあるはずの、問題のこの部屋の錠だった。
「お、おまえ、いつの間に」
「おまえらがぐちゃぐちゃ喋ってる間に、ちょっと失敬した」
 良維、朝野、藤貴の三人は、思わず顔を見合わせた。油断ならない奴だ。
 ところで、数央が今手にしているのは、ダイヤル式で三つ数字を合わせるだけ、という、いたって簡単な仕組みの錠だった。
「いつもこれで戸締まりをしてるのか?」
 ほい、と良維に錠を投げてよこしてから、数央はたずねた。
「ああ……そうだが」
「不用心だな。別の錠前とかえたほうがいい」
「そうかな」
 良維は不満げに言って錠を見つめた。
「あってないようなもんだ。だってそうだろ。0から9までの数字が三桁だから、考えられる数字の組み合わせは十の三乗で、千通り。千程度じゃあな。ひとつひとつ調べていったって、たかがしれてる。根気さえありゃ、こんな錠前はずすのくらいわけないさ」
 言われてみれば、そうかもしれない。
「でも……信じられないわ」
 朝野が口をはさんだ。数央が朝野に目をやる。
「なにが」
「だって……そんなことするような暇な人がいるなんて」
 確かにその通りなのだが。しかし、会話の流れとしては、相当間が抜けている。
 藤貴がくすっと笑みをもらした。
「なんで笑うのよー」
「だ、だって」
 女二人がじゃれあいを始めたのを横目で見つつ、数央と良維の会話は続く。
「ま、他にもこの錠を破る方法はあると思うが」
「しかし、どっちにしろ、そうまでして忍び込んでも、ここには盗むほど価値のあるものなんてないと思うんだが。だからこそ、この程度の錠前でも安心していたんだ」
 実際、良維の言う通りなのだった。この部屋にあるものと言ったら、ほとんどが書類。そりゃ、極秘扱いの大切な書類もあるが、それだって、生徒一人一人のプライヴェートな内容だからであって、それ自体には、金銭的価値はまずない。印刷機はというと、これがかなり旧式の物だし、大体そんな大きな物を盗もうという者もあまりいないだろう。
 ふむ、と少し考えこんでから、数央は不意に顔を上げた。
「進藤」
「なんだ?」
「なにか盗まれた物はあるのか」
 良維はあたりを見回した。
「ん……いや。こうしてみた限りでは、なにも」
「やっぱりな」
 やけに意味深な口振りだ。あごにあてた手が、ちょっとキザだな。
 じゃれあいにあきた朝野が、会話に戻ってくる。
「やっぱりって?」
 椅子にどっかともたれかかり、数央はすっかりくつろいで。
「こいつは物取りの仕業じゃないってことだ」
「というと」
 良維は机の上に置いたさきほどの書類をとりあげた。
「これが目的だったってことか」
「そういうことだ」
「でも」
 良維の手元を横からのぞきこんで、朝野は不審そうな顔。
「なんの変哲もない書類よ。それも、たった一枚だし」
「犯人にとってはそうじゃなかったのよ、きっと」
 めずらしく、藤貴が自分から会話に参加してきた。
「どういうこと?」
「よくはわからないけど……犯人はこの、浅井拓未とやらのことを探っているようね」
 再び、四人の目がその書類に集中する。しかし、そこに書かれているデータといえば、家族構成やその誕生日に勤め先、家までの道順や出身中学校名など、実にありきたりなことばかりだ。これといって、他の書類と異なる点はない。
「たったこれだけの情報のために、わざわざそんな手間をかけたわけ? その犯人さんは。なんだか随分間が抜けてるわね」
 朝野は少々げんなりしているようだ。言いたいことを言っている。苦笑しつつ答える良維。
「まあ、そう言うなよ。犯人にとっては、これだけでも重要だったんだろ」
「でも、これくらいのことなら、本人に聞けばわかるんじゃない? もしかしたら、もっとくわしいことだってわかるかも」
「きっと、聞くに聞けない事情があるんだろ。例えば、学外者だとか」
「それはないだろう」
 冷静な声で、数央が口をはさむ。
「さっきの推理によると、犯人は早朝か深夜、あるいは授業中に忍び込んだことになるが、そんな時間に学外者がうろつけば、目立ってしまうだろう。住み込みの用務員さんだっているんだし」
「ということは、犯人は香魚川の内部にいる、つまり、生徒か教師、あるいは職員ということになるな」
 しかつめらしく腕組みする良維。
「あきれた。同じ学校の人間なら、それこそ、本人に聞いたほうが早いのに。よほど本人に探っていることを気づかれたくないってことね」
「そういうことでしょう」
 ステープラーを取りに立ちあがりながら、藤貴は朝野にうなずいた。
「しかし、経理委員長に就任早々、事件発生か」
 と数央はためいきをついた。
 おいおい、まだ誰も認めてないって。と思う各人であったが、誰もそれを口にしようとはしなかった。代わりに、朝野がこう言っただけで。
「さしずめ、『新生徒会最初の事件』ってとこね。編集長御園生朝野の生徒会潜入レポートが、今度の香魚川新聞の一面を飾るんだわ」
「おいおい、やめてくれよ、朝野。信用をなくしちゃうじゃないか。生徒会不信任決議案が総会で提出されたら、どうするんだ」
「それはそれで、ニュースになって、あたしとしてはありがたいわ。なんせ、今って記事になるようなネタが少なくって」
「そうなのよね」
 藤貴も、刷りあがった会報をステープラーでとじながら会話に加わる。
「うちの『お昼のニュース』も、最近マンネリでね。なにか一つ大きな事件でも起きないかって思ってたところなのよ」
「なら、政界の話題でも扱ってくれよ。こんな事件、記事にされたら生徒会の大恥だ」
「だめよ、もっと身近な題材でなくちゃ」
 三人がこうしてふざけあっているのを横目に、数央がぼそっとつぶやいた。
「二人とも、マスコミ関係者か」
「マスコミは大袈裟よ、明石くん。ねえ」
「そうよ。うちの放送部にしろ、彼女の新聞部にしろ、所詮は校内のことしか取りあげないもの」
 そりゃそうだ。校内新聞が刑事事件をスクープしたって仕方ないし、第一、変である。そんな校内新聞見たことない。
「そういう明石は、なにかクラブに入ってるのか?」
「ああ、俺は、数学部に」
 げ。そんなクラブ、いまどきあったのか。と一瞬三人は凍りついた。しかし、平静を装った面々は、何事もなかったかのように笑顔を続けた。
「数学部って、なにをするの?」
 半ばためらいがちに、朝野がたずねる。
「数学の問題を解くんだよ」
 数央はきっぱりと言い放った。
「古典的な問題を証明したり、円周率の世界記録を目指してる奴もいるし」
 どうも理解できないわ、数学のできる人って。と数学があまり得意でない朝野は思った。きっとこういう人たちが、新しい公式を考えたりして、いたいけな少年少女を苦しめるのよ。
 朝野は、公式を覚えるのが苦手だったのだ。はっきり言って、これは逆恨みというものだ。
 と、そのとき、外の廊下から、第二の足音が聞こえてきた。そこにいたメンバーたちは、憮然としていた朝野さえも、冷静さを取り戻し、はっとその音に耳をすませた。
 その足音は、さきほどの数央のものと違い、ひどく頼りなげだった。なんだか、迷っているようなおぼつかない足取りだ。
「今度は誰かしら」
 朝野が小声で良維にささやく。良維も声をおとし、答える。
「さあな。でも、少なくとも、経理委員長希望者じゃないことだけは確かだ」
「もしかして、あなたの特定少数じゃないの?」
 藤貴の言葉に、朝野はぎくりとした。
「やだ……まさか」
 口ではそう否定しつつも、その可能性はあるかもしれない、と朝野は思っていた。なんだか怖くなって、朝野はぶるっと身震いした。
「大丈夫だ。俺だっているんだし、朝野に手出しはさせやしないよ」
 良維の思いやりが、朝野には嬉しかった。やっぱり、良維はやさしい。朝野は嬉しくて、泣きだしてしまいたいくらいだった。
「特定少数?」
 ただ一人、まるきり話のみえない数央が不審そうにたずねる。
「朝野が、誰かにつけ回されてるんだ。こっちにはなんの心当たりもないから、始末が悪い」
「それで、この足音がそいつじゃないかって? それにしちゃ、随分と頼りない追跡者だな」
「そう言われてみれば……そうね」
 確かに、数央の言うとおりなのだった。今聞こえてくる足音には、敵意とかそういったものは一切感じられない。してみると、例の人物とは別人ということになるか。
 朝野は少しほっとした。しかし、そうしてばかりもいられない。その足音が、生徒会室の前で止まったからだ。
 特定少数でないとしたら、一体何者だろう、と四人は幾分緊張しながら、ドアの開くのを待った。
 果たして、ドアがノックされ、良維の「どうぞ」の声にうながされドアが開いたとき、まず声をあげたのは、朝野だった。
「学籍番号10301、浅井拓未……」
 例の書類の写真そのままの顔が、四人の目の前にあった。
「えっ、どうして僕の名前をご存じなんですか?」
 拓未のその言葉と同時に、なにかの壊れる音がした。見てみると、彼の握ったドアのノブが、ドアから外れてしまっている。
「あ……すみません。僕、どうも人より力が強いみたいで……」
 そう言う彼の体は、どう見てもひ弱そうで、力がありあまっているタイプには見えないのだが。顔もおぼっちゃんぽく、まだまだかわいらしい感じ。しかし、目の前でドアを壊したのは事実なのだから、人は見掛けによらないというやつなのだろう。にしても、極端な奴だ。
 が、生徒会役員たちは、彼の本当の恐ろしさをまだ知らなかった。彼の力がどれだけ人並み外れたものなのか、彼らが知るのは、もう少し先のことである……。
 さて、当の拓未は、自分の外してしまったノブがなんとかして元に戻らないか、いろいろと試してみていた。
「あ、いいよ。あとで直すから」
 良維に言われても、まだ未練がましくノブをいじくっていた拓未だったが、とうとうあきらめて、室内に入ってきた。
「本当にすみません。いつもなら、力を加減するんですけど、驚いちゃって、つい力が……」
「いいよいいよ。それより、なんの用だい」
 良維に言われるまで、彼はすっかり自分の本来の用件を忘れてしまっていたらしく、あわてて自己紹介を始めた。
「はっ、初めまして。今度体育委員長に就任しました、浅井拓未です。今日は、ご挨拶に伺いました。よろしくお願いします」
 そう言うなり、最敬礼。なんだか本当にほほえましい。
「まだ一年生なのに? 大変ね。もしかして、他の人たちに押しつけられちゃったの?」
 朝野の言ったとおり、希望者がいないため、まだ学校に不慣れな一年生に上級生が面倒な委員長職を押しつけるというのは、よくあることらしい。
 しかし、拓未は、とんでもない、と首を横に振った。
「僕が、自分から志願したんです」
「自分から? めずらしいやつだな」
 良維はものめずらしそうに拓未をじろじろと見た。他の三人も同じである。一年生のうちからわざわざ志願するのもめずらしい。
「なんでまた、こんなしちめんどうくさいことに志願したんだ?」
「それは……」
 言いかけて、拓未はちらっと朝野を見た。好奇心まるだしの表情で自分を見ている朝野と目があって、彼はぽっと赤面した。それが、すべてを物語っていた。うぶなやつだ。
 「わかった、わかった。もう聞かないよ」
 良維の出した助け船に拓未は心底ほっとしたようだ。
 もう一人、ほっとしていた人物がいた。朝野である。彼女は、良維の前でそういう話をもちだされたくなかったのだ。それは、恥ずかしいからということもあるが、それ以上に、それに対する良維の反応を見るのが怖かったからである。
 さて、一安心したところで、拓未に目をやると、彼が朝野の反応を待っているのが、痛いほどよくわかった。朝野のためいき一つでさえも聞きもらすまいと待ちかまえているのだ。
 朝野とて、もちろん悪い気はしないのだが、こうまで露骨に好意を示されると、なんだか少しかわいそうになってくる。朝野は困り果てて、なんとか無難な言葉をひねりだした。
「ええと……とにかく、頑張ってね」
「……はいっ!」
 言われた拓未は、本当に嬉しそうだ。全身で嬉しさを表現している彼は、すがすがしいまでに純粋に見える。
 と、突然ばぁんと大きな音がした。数央が、ドアを素早く開けたからだ。
 すると、そこには、いつの間にか一人の女の子が立っていた。足音も立てずに、こっそりとやってきていたのだ。
 一見小学生のような容貌の彼女は、驚きを隠せない様子だった。
「立ち聞きとは、あまりいい趣味じゃないな」
 表情も変えず、数央が言った。
「あ、あたし……」
 そう言う少女の気の強そうな目を見た瞬間に、朝野はこの子だと直感した。今までずっとあたしを見ていたのは、この子だわ。
 朝野に見られていることに気づくなり、少女はさっと身をひるがえし、駆けだした。とっさに朝野はその後を追う。
「お、おい、朝野?」
 良維の驚きの声を背に、追いかけっこ(チェイス)が始まった。
 少女は、小柄なせいか、身軽に障害物を避けつつ逃げてゆく。しかし、朝野も、身の軽さでは負けてはいない。つかず離れずの距離を保ちながら、追いかけてゆく。
 一階の生徒会室をスタート地点として始まったこの追いかけっこは、一階の教室の前の廊下を駆け抜け、二階へ上がり、資料室や講義室を過ぎても、まだ終わる気配を見せなかった。階段のところで一度、朝野には少女をつかまえるチャンスがあったのだが、少女は彼女の手をするりとかわしてしまった。
 さすがの朝野も、少女の軽業まがいの身の軽さには舌を巻いた。このままだと、こっちが先にばててしまう。なんとかしなくちゃ。
 朝野もすっかりむきになっていて、なんとしてもこの少女をつかまえなくては気がすまなくなっていた。
 と、少女が再び階段へ向かうのが見えた。そこで朝野をまくつもりなのだろう。しかし、そうは問屋がおろさなかった。
 少女が三階に上がり、さらに上に続く階段を昇りかけたとき、朝野は、勝利を確信した。というのは、この校舎は三階建てだったからで、屋上へと続くドアは、現在封鎖されているのだ。少女はそのことを知らないらしい。
 案の定、朝野がそこへたどりついたとき、少女は屋上のドアを開けようと、無駄な努力を試みているところだった。
 これは、どう見ても、この学校に慣れている朝野の勝ちだった。
「無理よ。そんなことしたって、このドアは開かないわ」
 その言葉を聞くなり、少女の手から力が抜けた。しょんぼりと肩をおとして、なんだかさらにひとまわりほど小さくなってしまったように見える。
「さあ、どうしてあたしをつけ回したりしたのか、教えてちょうだい」
 不意に少女がきっと目をあげた。その目こそ、例の、朝野を見つめ続けていた目だった。
 やっぱり、この子だったんだわ。
 満足そうな朝野に、少女がくってかかるように言った。
「だって、あたし、拓未くんのことが好きなんだもん!」
 ……は?
 まったくわけがわからず、朝野は目が点になった。
「ちょ、ちょっと待って。拓未くんって、誰?」
「一年C組の、浅井拓未くんよ」
 言われて思いだした。さっきの、体育委員長の男の子。
「それで……浅井くんのことが好きだからって、どうしてあたしを追い回すの?」
「だって!」
 少女はすでに半べそをかいている。朝野はなにがなんだかわからない。
「仲良くなろうと思って文化委員長になったのに、拓未くんは入学式の時見かけたあなたのことが好きで、あたしなんかまるきり眼中にないんだもん。だから、だから……」
 なるほど、そういうことか。それで、あの目なわけね。
 朝野は、そこではっとした。
「もしかして、浅井くんの書類をいじったのも、あなた?」
 こくりとうなずいて、少女は言う。
「拓未くんのことなら、なんでも知りたかったから」
 少女はすっかり泣きじゃくっている。
 やれやれ、と朝野はためいきをついた。たったそれだけのために、錠前破りみたいなことまでしたってわけね。一途な子だわ。
 でも……あたしも、良維のことを知るためなら、そのくらいのことはするかも。そう考えて、朝野は赤面してしまった。
 朝野はあわてて首を振ってから、できるだけ優しい声で、少女に話しかける。
「さあ、もう泣かないで。ね。もうわかったから。あたしが、なんとかしてあげるから」
「……本当?」
 少女はちらりと上目づかいに朝野を見る。朝野はにっこり笑って。
「本当よ。あたしに任せなさい」
 どんと胸をたたいた拍子に、少しむせて、咳きこむ朝野だった。

「一年D組、岡田広瀬(おかだ・ひろせ)です。今度、文化委員長になりました。よろしくお願いします」
 なんのことはない、朝野の取った手段というのは、生徒会室に少女を連れてきて、みんなに紹介するだけのことだった。それでも、少女=広瀬にとって、それがなんらかのプラスになったことは間違いない。現に、彼女は拓未に「隣のクラスなんだね」とかなんとか話しかけられて、うれしそうに頬を染めている。
 まあ、ざっとこんなものよ。
 朝野は、胸を張って、いかにも満足げだ。と、その肩を良維がつつく。
「なぁに?」
「結局、朝野を見てたのは、あの子だったのか?」
「そうよ」
 ひそひそ声での会話は続く。
「でも、いったいどうして」
「え?」
「どうして、あの子は朝野を見張ってたりしたんだ?」
 朝野は一瞬返事につまった。なんて答えるべきだろう。
 しかして、朝野の出した結論は。
「内緒」
 の一言だった。
「なんで」
「それは、もちろん」
 朝野はすましてこう言ってのけた。
「武士の情けってやつよ」
 不服そうな良維の顔を見ながら、朝野は心の中で謝っていた。
 ごめんね、良維。でも、その理由を言っちゃうと、あまりにもデリカシーがないものね。あたしだって、良維に対する気持ちを、もしも誰かに知られたりしたら……。
 朝野は再び真っ赤になった。

 ──四月吉日、ようやく新生徒会に人材がそろう。
 この後、生徒会室の錠が別のものにかわり、明石数央が正式に経理委員長に就任した(というより、誰も彼の申し出を断ることができなかった)のは、言うまでもない──


話 ─終─

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