話 さつき祭



 香魚川(あゆかわ)高校生徒会副会長の御園生朝野(みそのお・あさの)は、難問に直面していた。考えても考えても答がでない。だんだん眉間にしわが寄ってくる。その顔に浮かぶのは、苦悩の表情ばかりだ。
 そうこうする間にも、時は刻一刻とすぎてゆき、タイム・リミットが近づいてくる。
 ──あと一分。ああ、もう時間がない。この辺まで答が出かかっているのに。朝野は必死で記憶の糸を手繰る。
 ……10、9、8、7、6、5……あぁ、もうだめだ──。
 朝野が頭を抱えたその瞬間に、チャイムが鳴った。教室の中がざわめき始める。
「……そこまで。じゃ、うしろから答案を集めなさい」
 試験監督の教師が指示をする。それに従い、最後列の生徒が試験の解答用紙を集め、教卓まで届ける。
 今日は、中間試験の最終日。たった今、数学の試験が終わったばかりだ。これで、すべての試験が終わったことになる。
 最終のテストが大の苦手の数学だったので、今回朝野は最後の最後まで気を抜けなかった。やはり、生徒会に関わる者としては、赤点だけはどうしても避けたかった。それに──今回は、片思いの相手である良維(りょうい)に数学を教えてもらっていたので、ますますいい点を取らなくてはならなかった。せっかく時間を割いて教えてもらったのに、点が良くなかったのでは、あまりに良維に申し訳ない。それに、良維にばかだと思われたくないし。
 そんなわけで、かなり頑張った朝野だったが、最後の一問がどうしても解けなかった。きっちり暗記したはずの公式が、思い出せなかったのである。これはくやしい。たしかに昨夜覚えたはずなのに。どんなに首を傾げても、頭をひねっても、はっきりと思い出すことができなかった。朝野は、がっくり肩をおとした。
 それでも、と朝野は自分をなぐさめるように心に言いきかせた。あとは一応書けたから、仮に答は違ってても、部分点はもらえるはず。だから、60点くらいはあるはずだわ。今までにくらべたら、上出来じゃないの。
 そうよそうよとうなずいて、朝野は鞄を手に立ちあがった。足取りも軽やかに、生徒会室へ向かう。試験も終わったし、これで当分は気楽だわ、などと思いながら。
 さて、生徒会室にたどりつきドアを開けると、すでに会長である進藤(しんどう)良維と、書記の高崎藤貴(たかさき・ふじき)、経理委員長の明石数央(あかし・かずお)がいた。朝野を含め、四人とも二年生である。あとの一年生二人は、まだ来ていないようだ。
「よ、どうだった?」
 朝野がいつもの指定席につくと、早速良維がたずねてきた。にこにことして、いかにもいい返事を期待しているふうだ。
「んー、7,8割はできたかな」
 少しさばを読んで朝野は答えた。我ながら、みえっぱりだなとあきれてはいるのだが。
 それを聞いて、良維は喜んでくれたようで、自分のことのように顔を輝かせ、こう言った。
「すごいじゃないか。それなら俺も教えた甲斐があるってもんだ。うん、えらいえらい」
 そう言ってほめてもらうと、朝野も悪い気はしない。えへへ、と照れ笑いしながら、隣に座る良維に向かってVサインをする。
 でもね、本当はもっともっといい点を取って、良維に喜んでもらいたかったの。その言葉は、口に出さずにのみこんだ。良維がこれだけ喜んでくれたら、もう十分だと思ったのだ。
 そんな朝野を見て、良維の向かいの数央が呆れたようにつぶやいた。
「数学部の俺に教われば、満点だって取れたかもしれないのに」
「ばかね」
 藤貴が数央の脇腹をひじでつつく。
「あなたじゃだめよ。殿が教えてくださるからこそ、意味があるのよ」
「なんで」
「なぜって、それは……」
 藤貴がちらっと視線を良維と朝野に走らせた。その目が朝野一人に向けられ、彼女の当惑したような表情をとらえると、大丈夫よ、とでもいうように藤貴は微笑みを浮かべた。
 その瞬間、朝野にはわかってしまた。藤貴は朝野の思いに気づいている。気づいていて、黙っていようと言ってくれているのだ。朝野は驚き、同時にはずかしさを覚えた。
 どうしてわかってしまったんだろう。みんなの前では、できるだけ普通にふるまっていたつもりなのに。そりゃ、ついつい良維を目で追ってしまうというようなことは、何度もあったけど。
 朝野ははずかしくて、顔から火が出る思いだ。
 でも、藤貴はあえてそれを口にせずにいてくれるのだ。プライバシーの観点からして、当然と言えば当然のことだが、やはり感謝せずにはいられない。朝野はそっと頭を下げ、ありがとう、という合図を藤貴に送った。
 藤貴は、その意味を理解してくれたらしく、かすかにうなずき、再び数央に目を戻した。
「だって、殿は生徒会長なのよ。副会長である彼女にとっては、師も同然。師の教えをたまわることは、素晴らしい意味を持つのよ。だから、あなたじゃだめなの」
「ふぅん」
 数央は首を傾げ、いまひとつ納得しかねる様子である。しかし、こういう場合はえてして強気にでた者が勝つのだ。藤貴は強引にその話を終わらせた。
「さて、と。それより、これを持って行かなくちゃ」
 なにやら山のようなプリントの束を部屋の奥からひっぱりだしてくる。どう見ても、とても一人で運べるような量ではない。それに、かなり重そうだ。
「なんなの、このプリントは」
 興味をもった朝野がたずねる。
「さつき祭の父兄用のプログラムよ。クラス・ボックスに持っていくの」
「さつき祭かぁ……もう今週末だものね」
 さつき祭とは、香魚川高校で毎年初夏に行われる小体育祭のことで、ゲーム的競技が中心となっている。新しいクラス内の親睦を深めるというのが、その主な目的だ。
 さつき祭は、次の日曜日に開催される。その準備やらなにやらで結構忙しくて、生徒会室の中もごたごたしている。試験中はさすがに仕事はしなかったが、今日からは相当せわしくなるだろう。その証拠に、良維と数央はもうすでにさつき祭関係の仕事を始めているようだ。彼らの手元には、当日の係員の配置だとか手順だとかを詳しく書いたプリントが置かれている、朝野が来るまで、二人でいろいろうちあわせをしていたらしい。
 よいしょ、と藤貴がプリントの束を抱える。でも、どうしても一度に三束しか持てない。やはり、残りの三束も一度に持つのは、あきらめるよりなさそうだ。
 朝野は、とりあえず手があいていることだし、彼女を手伝うことにした。同じように残りの三つの束を抱えて、連れ立って生徒会室を出る。職員室前のクラス・ボックスめざして、並んで歩きだす二人。
「ありがとう、みその」
 会釈しようとする藤貴だが、抱えたプリントが邪魔でうまくいかない。ちなみに、藤貴は朝野のことを『みその』と呼んでいる。『朝野』と呼ぶと、名字を呼び捨てにしているように思えるからだそうで、そう言われてみれば、確かに『みその』の方が名前らしく聞こえるような気がする。
「いえいえ。こっちこそ、さっきはありがと」
 朝野の言葉を聞いて、藤貴はにっこり微笑んだ。
「あれくらい、当然のことよ。それより、みそのはさつき祭、なんの種目に出るの?」
 言われて、朝野は思い出しながら答える。
「『障害物競走』と──『二人三脚玉入れ』だったと思うわ」
「『二人三脚玉入れ』って、逃げるほう?」
「ううん、追っかけるほうよ。高崎(たかさ)っちゃんは?」
「わたしは、『三人四脚借り物競走』と『棒引き』。ほんとは『いかだ乗り』がやりたかったんだけど、あれって男子のみの競技じゃない。残念だわ」
 『二人三脚玉入れ』というのは、一チーム十人のうち二人がかごを背負ってグラウンドを逃げ回り、そのかごの中に他のチームの残りのメンバーが玉を入れるゲームだ。もちろん、その名の通り、逃げるほうも追いかけるほうも二人三脚である。運悪くかごを背負った二人が転倒してしまったりすると、その隙にどかどか玉を入れられてしまうという、なかなかすごい競技である。
 『棒引き』はご存じの通り、グラウンドの中央に何十本かおいてある竹の棒を、たくさん陣地に持って帰ったほうが勝ちという、女子のみの団体戦。あちこちで女同士のすさまじい竹の奪い合いが見られる。
 そして、『いかだ乗り』とは、三人一組+丸太四本、板一枚で行う種目で、一人が板の上に乗り、棒を櫂のようにあやつり丸太の上を転がっていく。あとの二人は後ろの丸太をどんどん前へ並べていくという、上の一人だけが妙に楽しめるゲームである。
 他にも、二人が棒を担ぎ、一人がその棒にぶら下がる『お猿のかごや』や、顔に先すぼみのメガホン様のものをつけてゴールまで進む『灯台もと暗し』、それからさつき祭の二大目玉である『クラブ対抗騎馬戦』『チーム対抗リレー』などがある。いずれもなかなか楽しくて、エキサイティングな競技だ。
「でも、あれよね」
 藤貴が立ち止まって荷物を持ち直しながら言う。
「さつき祭ってこんな早い時期だから、大変よね、あの体育委員長さんも。まだ一年生だっていうのに、責任者なんだもの。随分あちこち走り回ってるみたいよ」
「ふぅん……」
 答えてから、朝野もふと足を止めた。そこは丁度一階の渡り廊下で、中庭がよく見渡せる。その中庭の木陰に、人目を忍ぶようにして、浅井拓未(あさい・たくみ)が立っているのが目についたのだ。
 どうやら楽な持ち方をみつけたらしく、歩きだそうとした藤貴が、じっとしたままの朝野を見とがめた。
「……どうしたの?」
 朝野は拓未の後ろ姿を藤貴に示した。
「噂をすれば、なんとやら。体育委員長くんよ」
「ほんと。なにしてるのかしら、あんなところで」
 藤貴があんなところと言ったのも無理はない。彼の今いる所は、少し鬱蒼としたあたりで、大掃除のときでもなければ誰も行かないような所なのだ。あるいは──なにか後ろめたいこと、こそこそしなくてはならないような理由でもない限りは。
 耳をすましてみると、かすかに話し声が聞こえる。拓未の他にもう一人誰かがいるようだ。なるほど、確かに密談するにはよい場所かもしれない。あまり人が気にとめない空間だから。
「なにか人に聞かれちゃ困る話でもしてるみたいね。悪いから、行きましょ」
 朝野がそう言って藤貴を促したとき、突然密談の声のトーンがあがり、一つの単語が二人の耳に飛び込んできた。
「番長!」
 えっ? と二人は思わず顔を見合わせた。
 今の……あの子の声じゃなかった。っていうことは、もう一人の声ってことで、つまり、あの浅井くんに向けられた言葉……まさかね。
 朝野は苦笑した。そんなわけがない。よりによって、あんなおとなしそうな子が、番長だなんて。それに、あの子はまだ一年生だもの。そんなはずないわよね。
 しかし、次に耳にした会話は、彼女の最初の考えが正しいことを裏付けることとなった。
「しっ。やめてくださいよ、人聞きの悪い。僕は単なる代理なんですから」
「じゃあ……番長代理。いったいどうするんですか」
 どさどさどさ。すごい音がした。驚きのあまり、朝野が、持っていた荷物を取り落としてしまったのだ。
 その音に、拓未ははっとして振り返り、朝野と藤貴の姿をみとめると、あんぐりと口をあけた。
「あ……御園生先輩……高崎先輩も。い、いったいいつからそこにいらしたんですか?」
「ついさっきよ。それより、説明してちょうだい。いったいどういうことなの? あなた……本当に番長さんなの?」
「えーとえーと……」
 朝野に説明を求められ、言葉に詰まって拓未は思わず頭をかいた。かなりの時間そうしていた彼だったが、やがて覚悟を決めたのか、
「ここではなんですから、生徒会室でゆっくり説明します」
 と答えた。
 そういうわけで、朝野と藤貴は、さつき祭のプログラムを適当にクラス・ボックスに放りこむと、大急ぎで生徒会室へと駆け戻った。
 二人が生徒会室に入ると、先に戻った拓未の隣に、文化委員長の一年生、岡田広瀬(おかだ・ひろせ)の姿があった。これで、生徒会役員が全員そろったわけだ。
 実に神妙な顔つきで黙りこんでいる拓未に気をとられつつも、仕事をしていた良維、数央、広瀬の三人は、朝野と藤貴が息せききって駆けこんできたのを見て、驚いて顔を上げた。
 真っ先に口を開いたのは、良維だった。以下、数央、広瀬と続く。
「なんだなんだ。二人ともなにをあわててるんだ? 浅井は浅井で、さっきから一言も口をきかないし。今日はみんなどうかしてるぞ」
「あんまりばたばたすると、落ち着いて計算ができないじゃないか!」
「先輩たち、早速さつき祭の特訓ですかぁ?」
 はあはあと息をきらしている朝野に代わり、呼吸ひとつ乱していない藤貴が、それらの言葉をまったく無視して言う。
「さあ、その説明とやらを聞かせてもらいましょうか。浅井くん、いえ、番長さん」
「ええっ!?」
 そんなことは初耳の三人が、仰天して拓未に目を向ける。拓未は困った顔で、まだどう説明すればよいか考えている様子。
 一番驚いているのは、拓未に気のある広瀬で、その大きな目を見開いたまま、まばたきすら忘れている。両手でおおった口から、震える声をやっとのことでしぼりだす。
「じ、じゃあ、拓未くんは、裏が紫で竜の刺しゅうのある長い学ランを着て、隣の高校に殴りこんだり、中学生を脅しておこづかいをせしめたり、女の子にからんだりしてるの?」
「してないよっ、そんなこと!」
 朝野はつい想像してしまった。童顔に長ランの拓未が中学生を脅すところ──これではどちらが脅されているかわからない。それに、彼に長ラン、ということ自体が、すでにギャグでしかなくて。
 朝野はぷっと吹きだした。この子にそんな一昔前の番長の設定を背負わせるのは、かなり無理があるみたい。
 なおもくすくす笑っている朝野を、良維が冷静な目で制した。はっとして朝野もかしこまる。
「どういうことなのか、話してくれないか」
 良維が代表者らしく落ち着いた声でいう。一応依頼の形をとってはいるが、うむをいわさぬ力強い命令口調だ。さすが、だてに生徒会長をつとめているわけではないと思わせる。
 それに観念してか、おずおずと拓未が話し始める。
「そんな……番長って言ったって、最近はほとんど形だけの存在で、たいしたことじゃないんです。それに、僕は兄の代理だし」
「兄って……」
 少し考えてから、良維が声をあげる。なにかひどく驚いているようだ。
「もしかして、あの浅井奏司(あさい・そうし)!?」
「そうですけど」
 拓未をはじめ、他の面々は、どうして良維がそんなに驚くのかわからない。
「良維、その人と知りあいなの?」
 朝野ののんきな問いかけに、良維はじれったそうに。
「忘れたのか? 我が校始まって以来の秀才といわれて、二年生ながら、O文社模試で全国二十位以内に入り、去年アメリカに留学した……」
 そう言われてやっと思い出した。確かに、あの時はかなり騒がれて、先生たちもみんな落ち着かなかったっけ。そう言えば、あの人、そんな名前だった。
 藤貴と数央も思い当たったようだ。ただ、広瀬だけは、彼女が入学する前のことなので、聞いたことはないのだが、それでもとにかくすごい人なのだということはわかったらしく、感心したようにためいきをついている。
「あの人が浅井の兄さんで、しかも番長だったとはな……」
 良維にはその事実がかなり意外だったらしい。しきりにうなずいたりうなったりしている。
 それでもすぐに平静に戻り、良維は拓未に話を進めるよううながした。
「続けてくれ」
「はい。おっしゃるとおり兄が渡米したんで、事実上、しばらく香魚川には番長格の人間がいなかったんです。でも、僕が入学した頃から、近隣の高校でおかしな動きが起こってきたものだから、番長代理という形で、僕がその処理にあたることになって」
「おかしな動きって?」
 持ち前の好奇心が騒ぎだしてきて、朝野は嬉々としてたずねた。
「浅井さんのいない間に、この辺を取り仕切ろうとしてる連中がいるとか?」
「いえ。そんなんじゃなくて、学校を拠点にした賭博組織みたいなものを作ろうとしているらしいんです」
「賭博組織ぃ?」
 学校と賭博というあまりにかけ離れたイメージのものがつながっていると聞き、各人は驚きの声をあげた。
「えーっ、学校でいかさまばくちをやって、何十両と借金した人をすまきにして川に放りこんだりするの?」
 こんなぼけたことを言うのは、当然広瀬である。
「いや、トトカルチョとか、ドッグレースとかさ。あと、対抗試合でどっちが勝つかとか……。自分たちが胴元になって、こづかいかせぎしてるんだ」
「なーんかえらくせこい連中ねー」
 と朝野はあきれ顔。しかし、良維は生徒会長という立場上、それだけですますわけにはいかない。
「それで、香魚川の生徒もカモにされてるってわけか」
「はい。一回の参加費はたいしたことないんですけど、回数を重ねると、やっぱり結構な金額になるんですよね。でも、非合法だから、被害届も出せないし」
「なるほど。同時に自分の首も絞めることになる、と。いつの時代にもそういうことを考えるやつがいるんだな」
 良維は妙なところで感心している。
「それに、そいつらが今度うちのさつき祭を利用してひともうけしようとしてるっていう、かなり確かな情報もあって」
「さつき祭で!?」
 またまた驚く役員たち。自分たちの学校の行事が金儲けに利用されるというのは、さすがに気持ちのいいものではない。かなり不愉快な話だ。
「どういう企画なんだ?」
 眉間にしわをよせて良維が聞く。
 ここまでつっこんだ話になると、さすがに拓未も自信のなさそうな口調になる。
「ええと……どうやら『クラブ対抗騎馬戦』か『チーム対抗リレー』のどちらかが賭の対象になるらしいってことぐらいしかまだわかってないんです。場所なんかについては、今調べさせてるんですけど」
「ふうん……うちの生徒はドッグレースの犬と同格ってわけか。ばかにしてるな」
 いまいましそうに良維が言い捨てた。
「す、すみません……」 思わずあやまってしまう拓未。
「おまえがあやまることじゃないだろう。……ああ、もしかして、浅井はそれを調べるために、生徒会に?」
「ええ、まあ、それもありますけど」
 それを聞いて、朝野は少しがっかりした。というのは、彼が初めてここを訪れたとき、体育委員長になったのは、朝野に近づきたかったからだというような言動を見せていたからだ。……なんだ、あたしのためだけじゃなかったのか。
 そこまで思ってから、朝野ははっとする。やだ、あたしったら、なに考えてるのよ。あたしには良維がいるっていうのに。そりゃ、まだまだ片思いだけど、だからって、これじゃただの浮気者だわ。反省反省。
 自分の頭を軽くこづいて、朝野は意識を先程からの話の方に戻す。
「しかし──」
 しばらく考えこんでいた良維が、話を再開した。
「さつき祭まで、あと三日。体育委員長の仕事をこなしながら、それを調べるのは大変だろう」
「えっ、あの、もちろん、生徒会の方を優先させますし、賭博組織のことで先輩方に迷惑のかかるようなことは絶対にないようにしますから」
 拓未は懸命に言葉を続ける。
「生徒会が賭博組織に関わってるなんて事になったら大変ですし、ここは僕や兄の配下たちに任せてください」
 それを聞いて、良維は朝野と藤貴にどうする? と視線を走らせた。その意味は、二人にもよくわかった。確かに拓未の言うとおり、こういう問題には生徒会は表だって手を出すことができない。しかし、隠密生徒会になら──。良維は二人に、隠密生徒会としてこの仕事にあたる気持ちはあるかとたずねているのだ。
 朝野と藤貴は一瞬顔を見合わせたが、すぐに良維の方に顔を戻し、笑顔で言った。
「ここまで話を聞いた以上、今さら手を引くなんて、あたしの性にあわないわ」
 朝野の言葉をひきつぎ、藤貴も答える。
「それに、殿はすでにそのお心づもりでいられるご様子。ならば、わたしに異存のあるはずもございません」
 うん、と満足げにうなずいたあと、良維は拓未をきっちりと見すえて宣言する。
「まあ、そういうわけだ。俺達も一口乗せてもらう」
 驚いたのは拓未だ。生徒会がそんな事件に介入するなど、とても正気の沙汰とは思えない。
「そんな、だめですよ。仮にも生徒会長ともあろう人が」
 あわてふためく彼を楽しそうに見つめる良維。
「ただの生徒会長なら、確かにまずいけどな」
 そう言って、ふっと口許に笑みを浮かべる。
「なに……? じゃ、進藤、おまえ給料もらって生徒会長やってたのか!?」
 それまで参加費と参加人数を想定して、一回の賭博による収入を計算していた数央が、きっと顔を上げた。その目は実に真剣で、どうやら彼は本気で言っているらしい。
「その『ただ』じゃないって」
 良維がそう否定しても、まだ疑わしげな目を向けてくる。彼はここのところずっとクラブ予算のことで頭を使っていたため、金銭的な話となるとかなり神経質になっているのだ。
「俺が言ってるのは、つまり」
 良維がちらと朝野に目をやった。朝野がうなずき、藤貴からも同様の反応を得た良維は、一言一言区切るようにして、はっきりと告げた。
「つまり、この一件、隠密生徒会が引き受けたってことだ」
 数央の顔色がさっと変わった。
「隠密生徒会、だって──!?」
 一年生二人は、意味はよくわからないまでも、『隠密生徒会』という言葉のもつ尋常でない響きには気づいたようで、やはりかしこまってしまう。
 そのリアクションに満足して、良維は話し始める。
「隠密生徒会は、生徒会の裏の顔だ。生徒会が動くわけにはいかない時、代わりに隠密生徒会が動きだす。隠密生徒会には常に危険がつきまとうため、その構成員は厳密な審査を受ける。役員就任以来、俺は君達をずっと観察してきたが、三人とも合格だ。明石の、計算中に邪魔をされて怒り狂ったときのパワーは、敵と対峙した時に発揮できれば、大きな戦力となるだろう」
 聞きながら、朝野は思い出していた。先日、計算中邪魔をされ、怒りのあまり数央がそばにあったそろばんをへし折ってしまったときのことを。あの時から、生徒会役員の間には、彼が計算をしているときは絶対に逆らわないという暗黙の了解ができたのだ。
「浅井の、ドアのノブをもいでしまう程の怪力は、番長代理をしているくらいだから、実践でも役立つことは間違いないし、岡田の素早い身のこなしは朝野も保証してる。だから、無理にとは言わないが、良かったら、隠密生徒会のメンバーとして力を貸してくれないか」
 三人はうつむいて黙りこんでしまった。無理もない。まったく思ってもみなかったことを突然言われたのだから。
 しかし、さすがに数央は立ち直りが早かった。次に顔を上げたとき、その中にはもう迷いの表情は微塵も見られなかった。
「あまり気乗りしないが、まあ、隠密生徒会にも経理委員長がいないと困るだろうからな」
 その言葉とは裏腹に、数央の瞳はやる気に満ちている。心配そうにしていた良維の顔がぱっと輝く。その目は次に拓未に向けられた。拓未は多少どぎまぎしつつも、ある程度肝をすえたようだ。
「……まあ、番長代理と似たようなものですからね。それに、元々この一件を持ち込んだのは僕ですし」
「拓未くんがやるなら、あたしもやるっ!」
 聞かれもしないうちから広瀬も答える。これで、全員の承諾が得られたことになる。良維は、満面に笑みをたたえてこう言った。
「よし、これで決まりだな。こいつは、新生隠密生徒会の初仕事だ。ぜひとも成功させなくちゃな」
 各人は、同意の印に笑顔で力強くうなずいた。
 ──というわけで、隠密生徒会の活動が開始されたのだが、なにせさつき祭を間近に控えているもので、生徒会役員たちは、その仕事で手一杯で、ほとんど動けなかった。ゆえに、拓未の配下の極秘の調査活動に頼らなくてはならなかった。しかし、相手もかなり用心しているらしく、彼らの探索も思うようにはかどらない。わかったことといえば、その賭博組織が香魚川、鮒橋(ふなばし)、沙魚倉(はぜくら)の三つの高校にまたがって存在しているということ、主にその三校の生徒がカモにされていること、そして、その三校のいずれかで賭博が行われるらしいということぐらいだ。
 それでも、賭場がその三つに絞れたのは、かなりの収穫だ。いや、香魚川のさつき祭を賭けの対象にするのに、人の大勢集まる当の香魚川を賭場に選ぶことはまずないと思われるので、残りの二つにまで絞り込むことができるだろう。
「日曜日ですからね。クラブ活動の生徒のふりをすれば、組織の者も客たちも、校内へ入りこむのは比較的楽ですよね」
 探索の成果を報告するとき、拓未がそう言っていた。事実、その通りだろう。学校ならば学生が大勢集まっていても、不自然ではない。敵も考えたものだ。
 しかし、私立の名門校である鮒橋学園高校か、公立の進学校、沙魚倉のどちらか、となると、これはどちらとも言えないのだ。あやしいといえばどちらもあやしい。今の時点では、これ以上場所を絞りこめない。
 そういう状況下で、進藤良維・隠密生徒会会長は、次のような方針を立てた。
 当日までに場所が判明すれば、その時点でその学校の生徒会長と連絡を取り、大賭博会を未然に防ぐ努力をする。もし当日になるまで判明しないようならば、その状況により、手の空いた者が現場に踏み込み、現行犯で取り押さえる。もちろん、その場合はこちらの身元がばれないよう、それなりの格好をしていく──。
 当然、当日までに解決してくれた方が、敵の前に直接姿を現す必要のない分、リスクが小さくてすむのだが、そううまく事は運ばなかった。前日になっても、依然として二校ともに不穏な動きは見られなかったのだ。
 かくして、この事件の収束は、さつき祭当日まで持ち越されたのである──。

 さつき祭当日、6月最初の日曜日は、よく晴れた絶好の体育祭日和となった。
 開会式直前の生徒会室でのミーティングで、良維が役員全員に今日一日の人員配置等について指示を下した。
「係の仕事のある時以外は、基本的に自分のチームの応援席にいるように。連絡があれば、放送席につめている高崎が放送するか、召集係の岡田が選手召集用の看板を持って歩く際に知らせて回るかする。あまり俺達が集まっていると、怪しまれるかもしれないからな」
 めいめい、神妙な面持ちでうなずく。続いて、拓未からの説明。
「競技の間にも、うちの者が調査を続けています。その報告は、保健室につめている、やはり我々の手の者を通して、こちらへ届くことになっています」
「保健室?」
 番長グループと保健室とはあまりそぐわない気がして、朝野が聞き返した。拓未は、平然として答える。
「保健委員のほとんどは、こちらの息のかかった者ですし、保健医の野上(のがみ)先生も、兄の代からの協力者なんです」
「野上先生が!?」
 朝野たちは驚いた。野上先生というのは、二十代後半の香魚川出身の女の先生で、美人で気さくな人柄で、生徒からの評判も高い人なのだった。そんな先生が、なんでまた……。
「あの先生、香魚川時代は、僕らと同じように裏番みたいなことやってたんですよね。だから僕達に対してすごく協力的なんです」
「あの野上先生が……人は見かけによらないものね」
 ためいきまじりに朝野がつぶやいた。その言葉が終わるか終わらないかのうちに、良維が口を開く。
「この話はこの辺で打ち切りだ。そろそろ開会式が始まるぞ。出よう」
 その言葉を合図に、全員が立ち上がった。それぞれ自分の所属するチームの鉢巻きをしめている。朝野は赤、良維と数央は青、藤貴は紫色、拓未は白、広瀬が黄色。隠密生徒会の仕事以外では、今日一日はお互い敵同士ということになる。
 とはいえ、さつき祭はゲーム性が高いので、敵対心をめらめら燃やす、というようなことはあまりないが。でも、プログラムの最後におかれている、『クラブ対抗騎馬戦』と『チーム対抗リレー』だけは特別だ。こいつはすごいぞっ。
 前者は、文化系女子・文化系男子・体育系女子・体育系男子の四つに分かれているが、メインとなるのはやはり体育系男子の試合である。
 出場者はみなそのクラブのユニフォーム、もしくはそれに類する衣服、道具を身につける。文化系クラブの連中は、勝負は二の次で、アトラクションのつもりでやっているため、たまにとんでもないやつが現れることがある。例えば、これは去年のことだが、歴史研究会の選手は鎧を着ていて、兜が帽子の代わりだった(いったいどうやって調達したのだろう……)。あとは、落研が羽織袴に鉢巻きスタイルだったり、演劇部がドレスを着ていたりと、どちらかというと、ショー的要素が濃い。
 その点、体育系クラブは気合いの入り方が違う。受け狙いに走ることのない分、勝負が白熱するのだ。最後の一騎になるまで熱戦が繰り広げられ、見ている方も大いに盛り上がる。別に、優勝したからといって、賞品が出るわけではないのだが。とはいえ、優勝したクラブは決まって翌年大量の新入部員を得ているところをみると、うん、各クラブが必死になるのもわかる気がするな。
 さて、一方『チーム対抗リレー』は、スタンダードな種目であるが、勝敗を決める最後の競技なだけに、かなりの盛り上がりを見せる。特に見物なのは、第三走者までは百メートルずつだが、各チームの応援団長がアンカーとして七百メートルを全力疾走するところだ。文字通り優勝がかかっているため、いやが上にも盛り上がる。まあ、だからこそ、例の賭博組織もこのどちらかに目をつけたのだろうが。
 それはともかくとして、開会式も無事終わり、準備体操の後、プログラム二番『障害物競走』が始まった。朝野と良維もこの種目に出場した。良維は、青い鉢巻きをひるがえし、堂々の一位を飾った。自分の出番を待っていた朝野は、それを見て思わず大喜びしてしまい、同じチームの女の子にたしなめられてしまった。その朝野はというと、三位という不本意な成績に終わった。ただ、一位二位は陸上部員だったので、まあ仕方ないかもしれない。
 競技はそれぞれ三学年合同なのだが、人数の都合上、入退場は一学年ことに行われる。
 自分の出番を終えた朝野は、三年生の『障害物競走』の間に、次のプログラム『お猿のかごや』で誘導係をつとめるために、入場門へと急いだ。
 入場門にたどりついた所で、朝野は仲の良い友人をみつけた。
「さたちゃん!」
 その声に振り向いたのは、朝野の二年越しのクラスメイトで演劇部部長の、神野青理(かんの・さおり)だった。青理なのにどうして『さたちゃん』なのかというと、去年のクラス劇に『佐太郎』という少年の役(ほんの端役だが)で出演したからだ。それが大いにうけて、以来彼女はクラスメイトから『佐太郎』とか『さたちゃん』とか呼ばれている。
「あさんちゃん」
 青理が顔をほころばせる。朝野と同じ赤い鉢巻きを、ポニーテイルにまとめた少しくせのある長い髪にリボンのように結んでいる。じっと見つめる大きな瞳が印象的だ。
「見てたわよ、あさんちゃん足早いね。あたし運動音痴だから、うらやましい」
「そんなこと言わないで、頑張ってよ。『障害物』じゃ、我が紅組はいまひとつ振るわないようだから」
 校舎のベランダからつり下げられた得点表には、まだなにも表示されていないが、先程から見る限りでは、残念なことに、紅組の選手はほとんど一位をとっていない。まだ一種目めだから、ぜひともこれから挽回したいところだ。
「うーん、頑張れって言われてもね」
 と、青理は女の子にしてはやや太めの眉を寄せた。
「あたしはぶら下がる役だから、頑張りようがないのさ」
「あ、そうか」
 そういって、朝野は改めて青理の全身を眺めてみる。青理はやせている。とにかくむちゃくちゃやせている。体操服の半袖から伸びた腕も、ブルマーをはいた足も、ものすごく細い。背は人並みなのに、横幅がない。そのうえ、厚みもない。肩なんか、ほんとに薄い。だから、体重もすごく軽くて、大風の日には吹き飛ばされることもあるらしい、というのはさすがに冗談だが。
 そんな青理が、ぶら下がって運ばれる役に選ばれるのは、当然といえば当然だ。運ぶ方の立場からすれば、ぶら下がる人が軽ければ軽いほど楽なのだから。
「えーと、じゃ、頑張って運ばれてね」
「あはは、それってなんか変よー」
 二人がけらけら笑っていると、スピーカーから藤貴の声が響いてきた。
「続きまして、プログラム三番、『お猿のかごや』です」
「それじゃ、さたちゃん。また後で」
「ん。じゃね」
 手をひらひらさせて見送る青理を後にして、朝野は一年生の選手たちを所定の位置まで誘導する。それが終わると、もう朝野はお役御免となった。あとは、次の次の『二人三脚玉入れ』が終われば、もうまったくのフリーだ。
 朝野が応援席の自分の椅子に座り競技を観戦していると、広瀬が看板を持ってやってきた。その看板には、「『二人三脚玉入れ』に出場の方は、入場門へ」と書いてある。
 鉢巻きを締め直すふりをして、広瀬の接触を待つ。朝野の後ろを通りかかったとき、広瀬は靴紐がほどけかかっている(もちろん、前もってわざとそうしておいた)のに気づき、結び直そうとしゃがみ込む。声をひそめ、広瀬が早口でささやきかける。
「場所がわかりました。とりあえず、お昼休みに生徒会室に集合です」
 朝野も目はグラウンドの方に向けたまま、ほとんど唇を動かさず応じる。
「どうして今すぐ現場へ向かわないの?」
「会場が開かれるのが二時からなんです。現行犯で取り押さえようという会長の判断です」
「そう、わかったわ」
 朝野の返答を聞いて、広瀬は立ち上がり、なに食わぬ顔で再び看板を手に歩いていく。一呼吸おいて、朝野もゆっくりと席を立ち、入場門へ向かう。目的地にたどりつく頃には、次の競技、『いかだ乗り』が始まっていた。
 うーん、楽しそうだな、あたしも一回やってみたいな、などと思いながら見てみると、青組がトップ独走だ。赤はもうひとつ振るわない。
 よーし、頑張るぞ、と朝野が奮起したのにもかかわらず、次の『二人三脚玉入れ』でも、赤組は最下位。続く『三人四脚借り物競走』ではかろうじて二位に入ったものの、総合得点では、依然ビリを争っていた。
 ここで、競技はひとまず中断、昼休みに突入する。
 朝野は先程広瀬に伝えられたとおりに、お弁当を手に生徒会室へ向かった。と、その途中で、やはり校舎へと向かう青理の姿を見かけ、朝野は彼女に呼びかける。
「さーたちゃん」
 振り返った青理の顔は真っ青だった。つらそうな表情が、なんとも痛々しい。
「どうしたの、さたちゃん。顔色悪いわよ!」
「んー……ちょっと熱っぽいみたいなの。日射病かなぁ」
 どれ、と青理の額に手をあててみると、確かに少し熱い。青理は平熱が低いほうだから、これはかなりつらいのではなかろうか。
「よし、さたちゃん、保健室に行こう」
「えー、大丈夫だよ。そんなのいいよ。たいしたことないから」
 ぐずる青理を半ばひきずるようにして保健室へ連れていき、開いたままのドアから奥の方に向かって声をかける。
「すみませーん、病人でーす」
 その声に、中にいた野上先生と保健委員たちが振り向いた。この人たちみんな、番長グループの関係者なんだわ、と思うと一瞬動きが止まってしまった朝野だったが、すぐに気を取り直して、青理を野上先生の前に押しやった。
「日射病みたいなんですけど」
 朝野が言うと、先生はうなずいた。
「ごくろうさま。あなたはもういいわよ」
 その先生にも、まわりの保健委員にも、番長グループに関わっているような気配すら感じられない。みんな役者だわ、と朝野は吐息をもらす。
「それじゃ、よろしくお願いしますね」
 そう言いおいて立ち去る背中ごしに、先生の声が聞こえてきた。
「……ちょっと熱があるわね。解熱剤をあげるから、しばらくここで横になってなさい」
 しぶしぶ薬を飲む青理のしかめっつらが目に浮かぶようで、朝野はくすりと微笑んだ。
 さて、こそこそ人目を忍びつつ生徒会室に行くと、他のメンバーはもう勢揃いしていた。
「遅いぞ、朝野」
 良維が軽く朝野をにらむ。
「ごめん、ちょっと野暮用でね」
「……まあいい。とりあえず、座って。昼食にしよう」
 良維の言葉に従い、彼の隣に腰をおろすと、朝野はうきうきとお弁当の包みを開いた。今日のおかずは、ミニハンバーグに焼きたらこにピーマンの甘辛炒めに卵焼き。みんな朝野の大好物だ。
「いただきまーす」
 というのももどかしく食べ始めた朝野をちらりと横目で見てから、良維がひとまず箸をおいて口火を切った。
「みんな、食べながら聞いてくれ。やっと、賭博会場を突きとめた。鮒橋学園だ。組織の者はとりあえず一時半ごろ屋上に集まる。その後、参加者たちは二階の一室に集合する。二時ごろ、金を集めるため、集金の担当者が屋上からその部屋へ下りてくることになっている」
 各人、しばし箸を持つ手を休めて、進藤会長のお言葉を拝聴している。
「前もって聞いておいたそれぞれの予定を見ると、午後がまるまる空いているのは、俺と朝野と明石に浅井になっているが、間違いないな?」
 誰も異議を唱えなかったので、良維はそのまま続ける。
「では、その四人が鮒橋突入部隊だ。一時半にここを出て、明石と浅井は二階へ、俺と朝野は屋上へ向かう。二時に作戦開始。俺達は屋上の始末をし、明石たちは、参加者として潜入している浅井の配下と協力し、二階を片づける。そして、二時十五分か、遅くとも二十分までに鮒橋を後にし、香魚川へ戻り、四十五分からの閉会式に出る」
 朝野と数央と拓未は、言われたことを何度も反芻し、頭の中に叩き込んでいる。良維は、今度は藤貴の方を向く。藤貴の顔にさっと緊張が走る。
「今言った予定では、時間がぎりぎりだ。万一俺達が戻るのが遅れた場合、高崎はできるだけ時間を引き延ばしてくれ。機材の調子が悪いとかなんとか理由をつけて。閉会式に会長や体育委員長が間に合わなかったら、おおごとだからな」
「御意」
 藤貴はしっかりとうなずいた。
 最後に良維は広瀬に指示を出す。
「岡田には衣装を調達してもらう。できるだけこちらの身元がわからないようなのがいい。幸い、このあとすぐ応援合戦が行われる。その衣装が使えるだろう。応援合戦が終わるのが、一時。今のところほぼプログラム通りに進行しているから、一時ごろに教室に忍び込み、突入部隊の衣装を見つくろってきてくれ。そして、閉会式の間に元に戻す。できるな?」
「はいっ、お任せください!」
 広瀬が元気いっぱい答える。良維は満足げに小さくうなずいて、腕時計に目を走らせる。
「いま十二時十六分。もうあまり時間がないから、急いで昼食をすませよう」

 さて、一時すぎ。広瀬が生徒会室に持ってきた衣装は、青組応援団の、ミュージカル『グリース』をイメージしたものだった。女の子は、オールディーズっぽく、襟の大きく開いた、ノースリーブ、ハイウエストのワンピースで、低めのパンプス、大きなリボンに至るまで、青色サテンで揃えてある。男の子は、同じく青色のスタジャンにジーンズ。
 朝野は、この衣装を一目見て絶句した。こっ、こんな服を着てひとあばれしろっていうの!? ちょっと、あんまりってものだわ。
 しかし、広瀬は朝野の抗議を軽く聞き流した。
「だって、他はチャイナドレスとかロングドレスとかで、それが一番ましだったんだもん」
 そうまで言われると、朝野もなにも言えなくなってしまった。仕方なく、女子トイレでその衣装を身につけ、赤い口紅をぬり、髪もポニーテイルにする。すると、いかにもオールディーズのヤンキー娘という感じになった。でも、なんだか妙に気恥ずかしい感じ。
 少し照れながら生徒会室に戻ると、男性陣も着替えを終えていた。
 朝野は、良維の姿を見てはっとした。というのは、良維の髪型がいつもと違っていたからだ。前髪を少しだけおろし、残りをサイドに流していて、随分大人っぽい雰囲気だ。願かけのためのいつものマフラーの代わりに首に巻いた濃紺のスカーフも、実に良く映える。もともと顔立ちが整っているからか、こういう格好がよく似合う。その点、和風の顔と服が少しちぐはぐな数央や、その辺の子供にしか見えない拓未とは大違いだ。朝野は、どきどきしながら、しばらく良維の姿に見とれていた。
「なんだよ」
 照れくさそうに良維がたずねる。
「そんなに変かな、この髪」
「うっ、ううん。よく似合ってるわ」
 どぎまぎしつつ答える朝野。そんな彼女に、藤貴がにこにこしながら賞賛の言葉を投げかける。
「そういうみそのも、素敵よ。そうやって二人並んでると、『ウエストサイドストーリー』のトニーとマリアみたい」
 言われて朝野はどきっとした。そういえば、『ウエストサイドストーリー』の映画の中で、こんな格好のシーンがあったっけ。そして、トニーとマリアは出会い、運命の恋に落ちる──。
 朝野はほほが熱くなるのを感じた。それには気づかず、良維が最後のチェックを始める。
「現在、一時二十分だ。鮒橋までは急いでも二十分はかかるから、今のうちに武器のチェックをしておくこと。鮒橋へは、身元がばれないよう、校外にとめてある無許可・無記名の自転車を使っていく。朝野はその格好だから、俺の後ろに乗れよ。それから、各自、上になにか羽織っていくように。この生地は光って目立つからな」
 気を取り直して、朝野も支度を始めた。シャープペンシルをポケットに忍ばせ、衣装の上から制服の腰どめスカートとトレーナーを着る。男性陣は、目立つのはスタジャンだけなので、上だけトレーナーを被る。良維は先を鋭く尖らせた万年筆を、数央はひとしきり考えたあげく、殺虫剤を一缶手にした。どうやら目つぶしに使うつもりらしい。拓未は武器の代わりにビー玉をひとつかみ用意した。投げれば武器になるし、足元に転がしておけば、敵はそれに足をとられ、戦力が落ちる。なかなかに便利な代物だ。念のため、朝野もいくつかわけてもらった。
 仕上げに、それぞれサングラスをかけた。これだけで、かなり人相が違って見える。他人の目もいくらかはごまかせるだろう。
 やがて時間になり、突入部隊の四人は生徒会室を出た。人に見つからぬよう、こっそりと裏門から脱出する。門の付近に放置してある自転車の中から鍵のかかっていないものを選び、飛び乗るようにして、一行は出発した。全速力で裏道を走り、鮒橋に着いたときには、一時五十三分になろうとしていた。
 鮒橋学園高校は、名門校なだけあって、すべてが立派だった。敷地は広いし、校舎もきれいだ。校庭の樹木も手入れが行き届いているらしく、雑草もほとんど見あたらない。
 しかし、一行はそんな様子に目を向ける暇もなく、大急ぎで、なおかつ人目を避けて、校舎内に忍び込んだ。幸い、誰にも見とがめられることなく、四人は所定の位置につくことに成功した。朝野と良維は屋上のドアの前の暗がりに、数央と拓未は客たちの集まる教室からは死角になっている廊下の隅に。この時点で、時刻は一時五十五分。ちょうど良い時間だ。
 二カ所に別れた四人は静かに上に着た服を脱ぐと、それぞれの持ち場でじっと待機する。屋上のドアが開いた瞬間が、第一の作戦開始の時だ。
 朝野と良維は、緊張の面持ちでドアノブを見つめていた。お互いの呼吸の音さえ聞き取れるほどに、耳をすまして。
 と、ドアに近づいてくる足音が、二人の耳に聞こえてきた。その足取りは、今日の賭博による儲けのことでも考えているのか、非常に弾んでいた。
 息を詰めて見つめる二人の目の前で、ドアのノブが音をたてて回った。ドアが開き、逆光で顔はよく見えないが、一人の男がこちらへやってくる。男はなにも気づかないらしく、隠れている二人のそばを通り過ぎようとする。と、その時、朝野が広げたハンカチを男の顔面にかぶせた。突然視界を奪われ驚いた男の隙をついて、良維が拳で鳩尾に一撃をくわえる。男はうっとうめいたきり、動かなくなった。気を失ったらしい。
 二人は素早く男の所持品をチェックした。ノートが一冊と小さな手提げ金庫。ノートには、金銭の出入りの記録、賭博組織の関係者や客の高校名、クラス、氏名、住所などが克明に記されていた。金庫は、参加料をしまうためのものだろう。どうやらこの男は組織の金銭管理をしていたらしい。良維はそれらを証拠物件として押収することにし、先程脱いだ自分のトレーナーの下に隠した。
 その後、二人は小さくうなずきあうと、屋上のドアを勢いよく音をたてて押し開けた。その音に、そこにいた男たちが振り返る。その数は、ざっと数えて十人足らずというところ。まあこの程度なら、二人でもなんとかなりそうだ。
「な……なんだ、おまえらは」
 代表者らしき男が二人を見とがめる。二人の尋常ではない出で立ちに、少なからず驚いているようだ。口をぽかんと開けてみている連中に、良維は低い作り声ではっきりと告げる。
「隠密生徒会、参上」
「なんだって!?」
「おまえたちが賭博であくどく稼いでいるのはわかっているんだ。おとなしくした方が、身のためだぞ」
 その時、階下からざわめきが聞こえてきた。二階の連中も動き出したようだ。
「客のほうにもこちらの手の者を回してある。帳簿もすでに手に入れた。もう言い逃れはできないぞ」
 こう言われて、はいそうですかと引き下がる人間はいないもので、この連中もやはりこれしきのことでひるみはしなかった。
「隠密生徒会だかなんだか知らんが、俺達の邪魔はさせん。やれ!」
 代表がそう言うなり、数人の男が二人を取り囲んだ。代表を含め、三人の男たちは動かず様子を見ている。おそらく、こいつらが幹部なのだろう。
 朝野と良維は背中合わせになり、敵のほうを向いた。ノルマは、三人ずつってところか。
 身構えた二人に、男たちが躍りかかってくる。少し太った男が朝野の肩をがしっとつかむ。朝野はいきなりその男の鳩尾あたりを膝で蹴り上げた。女と見てなめてかかっていた男の動きが止まったところで、すかさずそのあごを思いきり蹴り飛ばす。そこへ今度は別の男が殴りかかってくるのをひょいとかわし、その後頭部に肘鉄を見舞う。次に近づいてくる三人目の男の額に、ポケットから取りだしたビー玉を力一杯ぶつける。一瞬ひるんだ男の首を押さえ込み、シャープペンシルで素早く喉元を突く。
 その間に、良維の方も最初に殴りかかってきた男の足をなぎ払い、その腹に続けざまに両の拳を叩き込んで、次に殴りかかってきた奴の腕をとり、その勢いを利用してそいつをなげとばす。そこを狙ってもう一人の男が後ろから飛びかかってきたが、良維は少しもあわてず騒がず、さっと身をかわす。標的を失った男が、先程投げ飛ばされうずくまっていた仲間につまずいて、前のめりに倒れる。三人が転がっている間に、良維は万年筆で素早く彼らの首筋を刺す。もちろん、少し傷をつけるだけだ。万年筆にはインクの代わりに麻酔薬が仕込んであるので、連中はしばらく動けないだろう。その麻酔薬は、歯科医を営む父から朝野がこっそりくすねてきたもので、彼女のシャープペンシルにも仕込んであった。
 良維が三人を眠らせ終えた時、朝野の方も最後の一人に麻酔薬を打ち込んだところだった。ここまで、時間はほとんどかかっていない。
 しばらく呆気にとられていた幹部たちだったが、目の前で手下たちが簡単に片づけられてしまったのを見、二人の方へと寄ってくる。こいつらは、さっきの奴らよりは手強そうだ。
 男たちは、一人と二人に分かれ、朝野と良維に向かってきた。女の方は一人で十分と思ったのか。朝野はさっとシャープペンシルを構え、男の襲撃を待った。じりじりと男がにじり寄ってくる。その顔は冷酷そうで、蛇のような印象だ。良維の方に向かったのは、熊のような大男と、さきほどの代表だ。代表の男は、手に竹刀を持っている。
 ヘビ男は、獲物を狙う蛇のように朝野をねめつけていた。と、それまでのゆっくりとした動作から一転して突然素早い動きで朝野の右手をつかんだ。不意を衝かれ、朝野はあわててその手を振り払おうとしたが、男の力は思いの外強く、ふりほどくことができない。それどころか、残る左手も押さえられてしまった。
 とっさに良維に目を向けると彼は彼で熊男と代表を相手に苦戦しているようだった。とても助けを求められる状況ではない。仕方ない、自力でなんとかしなくては。
 その間にも、ヘビ男は朝野の腕をねじり上げていた。なんとかこらえつつも、うめき声が朝野の口からもれる。早くこの手から逃れなくちゃ。そう思いつつも、腕がしびれてきて、動かない。力の抜けた右手から、シャープペンシルがすべり落ちる。ヘビ男がにやりと笑った。これで勝ったと思っているのか、余裕の笑みだ。
 反撃するなら、男が油断している今しかない。朝野は次に取る行動を決めた。この手だけは、あまり使いたくなかったのだけど。
 朝野は、薄く笑っているヘビ男の目をにらみつけると、渾身の力をこめてその股間を蹴り上げた。途端、ヘビ男はぎゃーと叫んで苦しみ始めた。急いでシャープペンシルを拾い、その首筋に突き立てる。男は苦悶の表情を浮かべたまま、床に崩れ落ちた。
 ヘビ男が動かなくなったのを確認すると、朝野は良維を振り返った。良維は、二人を相手に苦戦を強いられていた。竹刀が情け容赦なく良維めがけて打ち込まれる。うまく避けていた良維だが、そこを例の熊男に押さえ込まれてしまった。熊男が良維を羽交い締めにし、代表が逃げられぬ良維の腹を竹刀で突く。なんとか身をよじってかわした良維だが、熊男の腕をふりほどくことはできなさそうだ。これは、かなりまずい状況かも。
 幸いなことに、二人ともこちらにはまったく注意を向けていない。朝野は、はいていたローヒールパンプスを片方脱ぎ、その踵で熊男の後頭部を思いっきり殴りつけてやった。熊男の力がゆるんだ隙に、良維はさっとその手から逃れる。代表はその時ちょうど満身の力をこめて良維の頭の上に竹刀を振り下ろそうとしていたところだったから──熊男は不幸にも味方からの一撃を受け、あっけなくのびてしまった。
 さあ、残るはあと一人。朝野と良維は、男をはさんで身構えた。代表は、二人を交互に見比べ……突然脱兎の如く逃げだした。なんて卑怯な奴なんだ。
 二人が追おうとした時、奴はすでにドアノブに手をかけていた。あわててドアを開け、逃亡しようとした男の目の前に、ぬっと一本の腕が突き出され、霧のようなものが男の顔に吹きつけられた。その霧をしこたま吸い込んでしまい、男は咳きこんだ。すかさず、ドアの向こうの腕が男の腹に連続パンチをお見舞いする。吸い込んでしまった気体のせいか、男はあっさり力つきた。
「ほい、一丁あがり」
 と男の体を転がして現れたのは、数央だった。ついでに、外に倒れていた金銭係の男もドアから屋上に放りこむ。なるほど、さきほどの気体は、殺虫剤だったのだな。その後ろから拓未も姿を現し、報告をする。
「客の方は、比較的簡単でした。証拠は押さえてあるってはったりをかけたら、すんなり言うことを聞いて。念のため、名前と学校・クラスは書かせましたけど、信用できるかどうかは、かなり疑わしいです」
「それは大丈夫だ」
 良維が服の乱れを直しながら答える。
「客のリストは手に入れた。そっちに隠してあるんだ」
 そう言って、屋上から出てトレーナーの下からノートを取り出す。
「これさえ手に入れれば、後はどうにでもなる。……さて、戻るか。もう二時十分すぎだ」
 全員がうなずいて、屋上を離れかける。が、朝野はふと思いついて、一人引き返し屋上の手すりに近寄り遠くを眺めてみる。
「……朝野? どうした?」
 不審に思って、良維が声をかける。
「……あ、ごめん。なんでもないの。ただ、ここから香魚川のグラウンドがよく見えるんだなぁって思って」
 朝野の言うとおり、少し遠くではあるが、香魚川のグラウンドで騎馬戦が行われているのが丸見えだ。今やっているのは、文化系男子だろうか、いろんな小道具を使って、随分楽しそうだ。
「だから、ここを選んだんだろう。勝敗もここからなら一目でわかる」
 言いながら、良維も朝野と並んでグラウンドを見ていた。いつの間にか、きちんとトレーナーを着込んでいる。
「おーい、お二人さん。ぐずぐずしてるとおいてくぞ」
 数央がドアのむこうから声をかけてきた。
「ああ、今行く」
 良維は答え、朝野と連れ立って歩きだす。ドアを出ると、差のは自分の服を拾い上げ、手早く着始めた。朝野がトレーナーを着終えた時、下から階段を昇ってくる足音が聞こえてきた。四人ははっとする。いったい誰だろう?
 各々身構え待っていると、その足音の主が姿を現した。その人物は、鮒橋の制服を着た女子生徒だった。上品なデザインの制服を一分の隙もなく着こなし、長い髪をポニーテイルにしている。気の強そうな瞳に、きゅっと結んだ唇が、りりしい雰囲気を醸しだしていて、思わず圧倒されそうになる。
「早子さん……」
 彼女を見て、拓未が小さくつぶやいた。拓未は彼女と知りあいのようだ。しかし、それを確かめる間もなく、早子と呼ばれた彼女は、四人の目の前に立った。
「──あなたたち、ここでなにをしているの!?」
 凛とした声が響く。その声は、少なからず怒りを含んでいた。
「警備の方から連絡を受けて来てみれば、この有様」
 どうやら、開けっぱなしのドアからのぞく屋上のことを言っているらしい。拓未があわててサングラスをはずして声をかける。
「早子さん、僕です。拓未です」
 それを見、早子の表情が少し和らいだ、ように朝野には見受けられた。
「拓未くん? こんなところでなにしてるの?」
「それは後にしてください。会長」
 拓未が今度は良維を振り返る。
「もう十五分です。先輩たちは戻ってください。ここは、僕に任せて」
「任せて……って、おまえが一番急がなくちゃならないんだぞ」
「わかってます。でも、これは番長代理の僕の仕事です。絶対に時間までに戻りますから」
 いつもは頼りなげな拓未の顔が、やけに大人びて見えた。結局、良維は彼の言葉に従うことにした。拓未の真剣な表情に負けたのだ。
「……わかった。ただし、絶対に遅れるなよ。いいな?」
 拓未に念を押すと、良維は朝野と数央に合図をし、さっさと階段を下り始めた。その後を追いながら、朝野は良維にたずねる。
「ねえ、本当に浅井くんにまかせて大丈夫なの? それに、あの人っていったい……」
「彼女は、鮒橋の生徒会長、矢神早子(やがみ・さきこ)。理事長の孫娘で、現在三年生。鮒橋を事実上取り仕切っている人物だ。浅井は彼女と知り合いらしいから、その方が都合がいいだろう」
 ふぅんとつぶやくと、朝野は黙りこんだ。そっか、あの人ってすごい人なんだ。道理で、迫力があるはずだわ、などと考えているうち、とめておいた自転車の所までたどりつく。
「でも、きれいな人だったわね」
 朝野がしみじみ言う。サドルにまたがろうとしていた良維は一瞬動きを止める。その間に、数央は一人でとばしていってしまう。
「え? ……ああ、矢神さんのことか。なんだ、朝野はああいうタイプが好みなのか」
 良維は自転車に乗り、朝野が荷台にしっかり横座りしたのを確認すると、力強くペダルをこぎ始める。
「好みって……良維はどうなの? ああいう人は好みじゃないの?」
 胸の鼓動を隠して、さりげなくたずねてみる。もし良維の好みのタイプがわかったら、それに近づくよう努力するんだけどな、などと思いながら。
「そうだなあ、俺はもっと……」
「もっと……なに?」
 くすりと笑みをもらして、良維が話をそらす。
「いや、なんでもない。さあ、とばすぞ。しっかりつかまってろよ、朝野」
「良維、言いかけてやめるなんてひどいわよ。ねえ……良維ってば!」

「……というわけなんです」
 一方、屋上では、拓未が早子に事の顛末を話して聞かせたところだった。
「そう……」
 早子は話を聞くと、途端に顔を曇らせた。
「全然気づかなかったわ、そんな連中がはびこっていたなんて……我ながらなさけないわ」
「早子さんの責任じゃありませんよ。むしろ、僕の責任なんです。兄の留守をあずかる者として、失格です。兄がいた頃は、こんなことは一度もなかったのに」
 それを聞いて、早子がさっと顔をこわばらせた。苦しそうな声で、拓未に問いかける。
「……奏司さんは、元気なのかしら……?」
「そのようですよ。手紙や電話の様子からすると。どうしてそんなこと聞くんですか」
 言ってしまってから、拓未ははっとして声をあげた。
「早子さん……まさか、兄はなにもいってこないんですか!?」
「ええ」
 早子は悲しそうにうなずいた。
「夏にアメリカに発って以来、なんの連絡もないわ」
「そんな……恋人の早子さんに手紙も出さないなんて……すみません、早子さん」
「いいのよ」
 無理に作った笑顔で、早子は答えた。
「あの人にはあの人なりの考えがあってのことなんでしょう。わたしは平気。それより、拓未くん、早く戻った方がいいんじゃないの?」
「あ、そうでした。それじゃ、早子さん、今お話ししたことは」
「わかってるわ。内密にっていうんでしょ」
「はい、お願いします。じゃあ」
 それだけ言うと、拓未は急いで屋上をあとにした。その後ろ姿を見送りながら、早子は一人ためいきをつき、淋しそうにつぶやく。
「……ばか奏司。いったいいつまで待たせるつもりなの……?」

 二時五十分。五分遅れでさつき祭のすべての競技は終わった。優勝は青組。応援団長が最後のリレーでトップでゴールし、文字通り守りきって手にした勝利だった。ちなみに、騎馬戦の最終戦の覇者は、サッカー部だった。来年はさぞ部員が増えることだろう。
 そうして、あとは閉会式を残すのみとなったわけだが、生徒会役員たちは大いに焦っていた。拓未がまだ戻ってこないのだ。藤貴がマイクの故障と称して時間をかせいでくれているが、それももう限界だ。そろそろ閉会式を始めないと、いくらなんでも怪しまれてしまう。
「もうこれ以上は待てない。仕方ない、浅井なしで強行だ」
 良維が宣言すると、役員たちは騒然となった。
「そんな……っ、体育委員長不在でさつき祭を閉会するなんて、無理よ」
 朝野らは懸命に抗議した。が、良維の意志は固かった。
「浅井は保健室で寝てるとかなんとか言ってごまかす。それしか方法はないだろう。これ以上時間を延ばしても、いたずらに一般生徒の不信感をあおるだけだ」
 かくて、全生徒がグラウンドに整列し、閉会式の準備が整った。良維は覚悟を決め、全校生徒の注視の中、台の上にあがった。拓未をのぞく他の役員は、台の横に神妙な顔つきで並んでいる。良維がマイクスタンドの前に立ち、話を始めた。
「みなさん、お疲れさまでした。さつき祭も、いよいよ閉会式を迎えようとしています。今日のこの行事は、楽しい思い出として、みなさんの心にきっと残ることでしょう」
 良維はここで少し呼吸をおいた。まだ拓未は現れない。やはり、だめだったか、と良維は完全に腹をくくった。
「──さて、ここで体育委員長からの順位発表なのですが、実は」
 そこまで言ったとき、校舎の方から大きな声がした。
「すみません!」
 声の主は、拓未だった。ぎりぎり、間に合ったのだ。よく見ると、足首に包帯が巻いてある。かすかに足を引きずりながら、急いで台に上がる拓未。
「みなさん、すみません」
 開口一番、拓未は全校生徒に向かって頭を下げた。
「体育委員長としての初仕事なので、張りきりすぎて、閉会式の準備中転んで捻挫してしまいまして。保健室で手当てをしてもらっていたら、遅れてしまいました。本当にすみません」
 拓未の純朴そうな態度が功を奏したのか、生徒たちは彼の言葉をすっかり信じ込んでくれたようで、不満の声はあがらなかった。役員たちは心底ほっとした。
 こうして、今年度の波乱含みのさつき祭は、なんとか無事幕を閉じたのであった。

 そのあと、生徒会室でジュースとお菓子でささやかな慰労会が行われた。それぞれのコップにジュースが注がれ、役員たちはお互いの働きをたたえあった。中でも話題になったのは、やはり閉会式での拓未のことである。
「こんな事もあろうかと、あらかじめ包帯を巻いておいたんです。保健室の方は、野上先生が口裏を合わせてくれるはずだと思って」
 つまり、拓未は保健室になんか行かなかったのである。もちろん捻挫もしていない。鮒橋から戻るなり、急いで服を着替え、その足で、いかにも保健室から出てきたような顔をして、校庭に出たのだ。なかなかたいした役者だ。
「でも、保健室に他の生徒はいなかったのか? もし誰かいたのなら、そこから足がつくことも考えられる」
 良維がもっともな疑問を口にした。が、朝野がすぐにその可能性を否定する。
「大丈夫よ。そのとき保健室にはあたしの友だちが一人いたきり。さっき念のために聞いたけど、彼女はずっとベッドで眠っていたそうだから、なにも気づいていないと思うわ」
「そうか。なら大丈夫だな」
 良維は満足げにうなずいた。一仕事終えてほっとしたのか、他の連中もみな明るい表情だ。
「よし、じゃあ始めるか。みんな、コップを持って」
 他の五人が紙コップを手にしたのを確認すると、良維は乾杯の音頭をとった。
「それでは、さつき祭と、隠密生徒会の初仕事の成功を祝して──乾杯!」
「かんぱーい!」
「お疲れさまでしたーっ」
 ──そして一同は、おおいに飲んで食べて騒いで、このさつき祭騒動を楽しく締めくくったのだった。


話 ─終─

隠密生徒会インデックス
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