話 舞いこんだ迫状



『隠密生徒会、さつき祭当日に、鮒橋(ふなばし)学園に出現!』
 香魚川(あゆかわ)新聞最新号の一面を、その見出しが大きく占めていた。この最新号は、今日出たばかりのもので、その売れ行きは上々。おかげで、財政難が少しは解消される、と新聞部部長の御園生朝野(みそのお・あさの)は上機嫌だ。
 さつき祭の翌週のある日の放課後。朝野は、最新の香魚川新聞を手に、少し遅れて生徒会室にやってくると、いつもの面々の中に、クラスメイトの神野青理(かんの・さおり)の姿をみつけた。
「さたちゃん!」
 声をかけると、小冊子を手に岡田広瀬(おかだ・ひろせ)となにやら話し合っていた青理は顔を上げ、朝野の姿をみとめると、うれしそうに微笑んだ。今日は耳から上の髪だけ結ぶ、いわゆるお嬢さん結びをしていて、頭のてっぺんに、大きな青いリボンが揺れる。
「あさんちゃん」
「どうしたの? さたちゃんがここに来るなんて、めずらしいわね」
「今日の演劇講習会のね、打ち合わせなの」
 朝野は、ああ、とうなずいた。演劇講習会というのは、文化祭で演劇をするクラスの文化委員を対象に、文化祭実行委員会の演劇委員長が行う簡単な説明会のことだ。大体、演劇委員長は演劇部の部長が兼任することになっている。したがって、今年は青理がその任にあたっているのだ。文化祭が行われるのが九月だから、例年六月の今頃、演劇講習会は開かれる。
「そっか。大変だろうけど、頑張ってね」
「うん。ありがと」
 その後、しばらく青理は広瀬と話していたが、じきに話は終わった。どうやら、最終確認をしに来ただけだったらしい。生徒会役員たちに軽く会釈をすると、青理はワープロ原稿をコピーした小冊子の束を手に、生徒会室を出ていった。たしか講習会は三時半からだから、これから現場に直行するのだろう。
 その姿が完全に見えなくなったのを確認すると、朝野は香魚川新聞を役員たちに手渡した。
「はい、香魚川新聞の最新号。一人一部ずつ進呈するわ」
 朝野から新聞を受け取ると、各人はむさぼるようにそれを読み始めた。
「ん、なになに──目撃者の証言によると、隠密生徒会は女一人を含む四人連れ。さつき祭の青組応援団の衣装を着ていたらしい──誰だ、この目撃者ってのは」
 良維(りょうい)がたずねる。その間も、目は新聞から離さない。
「ああ、それ、鮒橋の矢神(やがみ)さんよ。まさか、組織の関係者や客たちに聞くわけにはいかないじゃない。でも、浅井くんが口止めしたからか、その程度のことしか話してくれなかったわ。まあ、それ以上のことを言われたって、公表なんてできないんだけどさ」
「そうよねえ」
 藤貴(ふじき)がうなずいて、同意する。
「放送部(うち)もお昼のニュースで扱ったけど、無難なことしか言えなかったし」
「そうなのよ。知ってることを全部書いたら大スクープだけど、まさかそういうわけにもいかないものね」
 などと話しつつ、新聞を読み進む。そこに書いてあるのは、さつき祭当日に鮒橋学園の屋上で、さつき祭を賭けの対象にしようとしていた賭博組織の連中を、隠密生徒会が片付けたということと、組織についての調査結果などで、生徒会役員にとって目新しいことは何もなかったが、それでも、他の生徒たちにしてみれば、これだけでもすごいニュースなのだ。それは、今日一日の新聞の売り上げの多さからもうかがえる。
「でも、なんか変な感じですよね」
 少し感慨深げに拓未(たくみ)が言う。
「何がだ?」
 数央(かずお)が、新聞から目をあげて聞き返す。
「だって──こんなに新聞なんかで騒がれてる隠密生徒会が、実は僕達で、しかもそのことを他の人たちは知らないなんて、なんだかすごいですよ」
「あー、あたしもっ。あたしもそう思うっ!」
 広瀬が意気込んで会話に参加する。彼女は拓未のことが好きだから、とにかく彼の言うことにはなんでもかんでも返事しようとするのだ。それはそれで、まあかわいいものだが。
「そう言われてみれば、そうね。なんだか、有名人になったみたいな気がするわ」
 朝野のそんな言葉を聞いて、良維は少しあきれ顔だ。
「おいおい、うかれてる場合じゃないんだぞ。それに、隠密生徒会がどうのとか、あまり大きな声で言わないように。どこで誰が聞いてるかわからないんだからな」
「はーい」
 朝野は肩をすくめた。たしかに、良維の言うとおりなんだけどね。やっぱり、なんかわくわくしちゃうじゃない? あたしたちだけが大変な秘密を共有してるなんて。考えるだけで、顔が笑っちゃう。
 それでも、ちゃんと仕事を始めようと、朝野は学生鞄の中を探って、ノートと筆箱を出した。これから書類整理をするのだ。先週のさつき祭のおかげで、それ以外の一般事務の仕事がたまってしまっている。他のメンバーも、さっさと自分の仕事をし始めた。
 ノートを開こうとして、朝野は一瞬手を止めた。ノートに紙が一枚はさんであるのに気づいたからだ。
 ……これ、なんだろ。あたし、こんな紙なんかはさんでたっけ?
 二つ折りにされている紙をひっぱりだし、その紙を開いてみて、朝野はぎょっとした。あまりの驚きに、声も出ない。
「……りょ、良維……」
 やっとのことで、それだけ言葉をしぼり出した。隣に座っていた良維が、なんだ、と朝野のほうを向く。
 朝野は無言でその上を良維に差し出した。いぶかしげにそれを受け取った良維は、それに目を通すと、さっと顔色を変える。
「これは……」
「どうした、進藤(しんどう)。ラブレターか?」
 絶句している二人を眺めつつ、のんきに数央がからかった。素早くショックから立ち直り、良維はその言葉を軽く受け流す。
「なにばかなこと言ってるんだ。それどころじゃないぞ。みんな、これを見てくれ」
 全員が手を止めて、視線を紙片に注いだ。その紙には、ワープロでこう書かれていた。『隠密生徒会の正体を知っている。明日午後三時二十分に、三十四号教室に来られたし』と。
「こっ、これってもしかして、脅迫状ってやつかしら」
 やっと少し落ち着いた朝野が、どきどきしながら口を開く。それに対して、良維はうーん、と考えこんでいて、答えない。
「あっ!」
 広瀬が突然声をあげた。
「さっき拓未くんが、『僕達が隠密生徒会だ』って言ったのを誰かが聞いていて、それでこれをよこしたんじゃないですか!?」
「なに言ってるんだ。さっきの今で、こんなもんが出せるもんか。手書きならまだしも、ワープロで書かれてるんだから。これは、かなり前から用意してあったものだ」
 冷静にそう指摘したあと、数央は朝野に向き直った。
「御園生、誰の仕業か心当たりは?」
 朝野は、考えながら慎重に答える。
「……わからないわ。でも、少なくとも今日の昼休みに見たときは、そんな紙はなかったわ」
「そのあとは、ノートはどこに置いてたんだ?」
「教室の机の中よ。だから、入れられたとしたら、考えられるのは……五時間目の後の休み時間、だと思う。新聞部の用事で、ちょっと席を外してたから、誰にでもノートにさわるチャンスはあったはずよ」
 ふむ、とあごに手をあてて、数央は考えるポーズ。
「三十四号教室ってのは、2−F、つまり御園生のクラスだよな。そこへ呼び出すことといい、机の中のノートに脅迫状をはさんだことといい……どうも2−Fの奴の仕業らしいな」
「そうとは限らないんじゃない?」
 それまで黙って聞いていた藤貴が、口をはさむ。どうやら今まで沈思黙考していたらしい。
「休み時間なら、他のクラスの人だって簡単に教室へ入り込めるし、2−Fへ呼び出すのは、単にみそののHR(ホームルーム)教室だからかもしれない。まだ何もはっきりしたことは言えないと思うわ」
 御説ごもっともであるが、これで話はふりだしに戻ってしまったことになる。みんな困って黙りこんでしまった。たまりかねて、藤貴が良維の意見を求める。困ったときの会長頼みだ。
「殿はいかが思われます?」
 全員の注目を浴びて、良維はためらいがちに口を開いた。
「俺はさ、ひとつだけ気になるんだ。この脅迫状、どこか変だと思わないか?」
 良維に目を向けられ、朝野は困って首を横に振った。
「そんなこと言われても、普通の脅迫状だって受け取ったことないのに、変かどうかなんてわからないわ」
 仕方ないなといった具合に、良維がふっとためいきをつく。
「この脅迫状にはさ、条件が提示されていないんだよ。ほら、刑事ドラマなんかでよくある、『ばらされたくなかったら、三百万持ってどこそこに来い』とかいったものが、抜け落ちてるんだ」
 そう言われれば、たしかにそうだ。そのせいで、脅迫状としてはなんだか不完全な形になっている。
「犯人が意図的にその部分を抜いたのか、それともうっかり忘れてしまったのかはわからないけれど、俺はそこがどうしても気になるし、その部分がない以上、この文章からははっきりしたことは何も言えないと思う」
 さすが、生徒会長の発言は重みがある。文面の件は、自然にそれでおあずけの形となった。
 次に良維は、文面以外の点に目をつけた。
「この文章は、B5用紙にワープロで書かれている。そのワープロの機種がわかれば、あるいは何かヒントが得られるかもしれないが……」
「シャープの書院ですっ」
 すかさず広瀬が答える。あまりの素早さに、みんな驚いて広瀬を振り返る。
「どのタイプかまではわかんないけど、この字体は絶対書院です。間違いありません」
「……どうしてわかるの?」
 自信満々の広瀬に、おずおずと朝野がたずねる。朝野には、どのワープロだってあまり変わりがないように思われるのだ。
「えー、だって、どう見たって書院の字だもの」
 全然説明になっていない。大体、広瀬は人に何かを教えるなんてことは向いていないのだ。仕方がないから、朝野は、よくわからないがそういうものなのだと思うことにした。
 実をいうと、広瀬はこう見えても、機械関係に非常に強かったのだが、役員たちはそのことをまだ知らない。今の字体の件にしても、偶然知っていたのだろう、と思っていることだろう。
「それから、これはワープロ原稿を一度コピーしたものだ。どこのコピー機を使ったのかわかれば、それも大きな手がかりになる」
 次のポイントが良維によって指摘された。今度は藤貴が当然のように答える。
「正門前の写真屋さんの十円コピーです。ほら、これ」
 そう言って、藤貴は傍らにあった小冊子を取りあげた。
「今日の演劇講習会用の資料です。昨日あの店でコピーしたものだそうですけれど、汚れの箇所がまったく同じでしょう? ですから、この脅迫状も、あそこでコピーされたものだと思われます」
 藤貴の説明は、わかりやすくていいな。
「なるほど。誰か他に何か気づいたことはないか?」
 良維が全員の顔を見回す。が、誰からも意見の出る様子はない。
「意見がないようだから、この件については今日はここまでだ。朝野は明日中にクラスの中で怪しい人物がいないかどうか調べておいてくれ。俺も、心当たりを調べてみるから」
 朝野は神妙にうなずいた。そして、この日はもう、それ以上そのことについてふれる者は誰もいなかった。

 翌日の昼休み、朝野は青理の机の前に椅子を持ってきて、二人でお昼ご飯を食べていた。これまでの休憩時間の情報収集では、あまりたいした収穫はなかった。ワープロを持っている人は何人かいたし、その機種が書院である人もいたことはいた。正門前の店でコピーを取ったことのある人もみつかったが、問題のコピーがいつ取られたのかわからない以上、その事実はあまり意味がないような気がする。
 朝野はがっくりして、お弁当のおかずを箸でつついていた。ついつい考えこんでしまって、なかなか食がすすまない。
 その向かいで、今日はペパーミントグリーンのリボンを結んだ青理がパンを食べていた。青理のお昼は、たいていパンとジュースだ。
 青理がちぎったパンをゆっくりと口に運ぶのをぼんやりながめるうち、朝野はふと思いついて、彼女に一つたずねてみた。
「さたちゃんて、たしかワープロ持ってたよね?」
「え? ……うん」
 不意を衝かれて、青理は戸惑い気味にうなずいた。
「機種は何?」
「んー、進一郎さんは、書院だよ」
 口をもごもごさせながら、青理が答える。いきなり未知の名前が出てきたので、朝野は念のため聞いてみる。
「……進一郎さんって、誰?」
「うちのワープロの名前。いい名前でしょ?」
 朝野は一瞬返事につまった。でも、青理は平気な顔で、当然朝野がうなずいてくれるものと思っているようだ。朝野はどう対処したらいいのかわからない。仕方なく、おずおずと質問を返す。
「あー……ワープロに名前なんてつけるものなの?」
「うーん、他の人はどうか知らないけど。たしか、弥生(やよい)ちゃんちのワープロにも、名前がついてたと思うよ」
 青理の言った『弥生ちゃん』というのは、クラスメイトの飛鳥井(あすかい)弥生のことだ。前書記の飛鳥井智明(ともあき)先輩の妹で、クラス委員の女の子だ。朝野はあまり彼女と親しくはないけれど、青理はわりと仲がいいのか、二人で話しているのをよく見かける。弥生は、今日は二人よりずっと前のほうの席で、別の友人とお弁当を食べているはずだ。朝野はそちらに背を向けているので、その姿は見えないが。
「あれ……?」
 パンをむしる手をふととめて、青理がぽつりとつぶやいた。
「なに? どうしたの?」
 たずねる朝野の肩越しに向こうを見つめたまま、独り言のように青理は言う。
「弥生ちゃんがこっちを見てる」
 朝野は後ろを振り返った。と、青理の言葉通り、弥生が二人を見つめていた。彼女は、朝野と目が合うと、驚いたような顔をして、あわてて顔を背けた。その態度からすると、どうやらずっと前から朝野たちの様子をうかがっていたらしい。一瞬しか表情は見えなかったが、その目はこちらをにらみつけていたようだった。
 彼女、ちょっとあやしいわ、と朝野は思った。もしかしたら、あの脅迫状の主は、飛鳥井さんだったのかもしれない。彼女なら、お兄さんが生徒会にいた関係上、秘密に感づいたって不思議はないし。さたちゃんの話によると、彼女の家にはワープロだってあるそうだから、その可能性はおおいにあるわ。
 朝野がしばらく考えこんでいる間に、青理はパンを食べ終えてしまい、小さくその手をあわせた。
「ごちそうさまでしたーっと。さーて、歯でも磨いてこようかな」
「あ、うん。いってらっしゃい」
 と手を振ろうとして、朝野は箸を取り落としてしまった。がちゃんと音をたてて、箸が床に転がる。
 朝野はためいきをつきつつ、箸を拾いあげた。
「あーあ、洗いに行かなくちゃ。さたちゃん、そこまで一緒に行こう」
 二人は連れ立ってお手洗いへと向かった。青理は最近虫歯を気にして、昼食の後必ず歯を磨くことにしている。今日も、旅行用の歯磨きセット持参だ。
 朝野は、急いで箸を洗うと、歯を磨き始めた青理をおいて、先に教室に戻る。もうあまり時間もないし、急いで食べてしまわなくちゃ、と思いながら教室の前の戸を元気良く開けると、ずいぶん大きな音が響いた。ここの戸は、立て付けが悪いのだ。いつもは気をつけて開けるのだが、今日はうっかり忘れていた。
 教室の中にいた人たちが、その音に驚いて振り返る。そのうちの一人と朝野の視線があった。それは、なにかの紙を手にし、さっきまで朝野たちが座っていた席のそばにたたずんでいた弥生だった。朝野の姿をみとめると、弥生は気まずそうな顔をしたかと思うと、そそくさとその場を離れ、自分の席に戻っていった。
 彼女の不自然な態度を見て、やっぱり、犯人は飛鳥井さんにちがいない、と朝野は確信した。あの手に持っていた紙はきっと第二の脅迫状だったに違いない。あたしたちがいない隙に、こっそり置いていくつもりだったんだ。そうでもなければ、あたしを見てあんなふうにこそこそ逃げる理由がないもの。
 かくて、朝野の飛鳥井弥生犯人説がかたまった。
 最初は、すぐに彼女を問いつめてみようかとも思った朝野だったが、少し考えた結果、それはやめることにした。あとで良維に相談してみよう。これはあたし一人の問題じゃないんだから、そうするのが筋ってものだわ。彼女本人に確かめるのは、その後でだって遅くない。
 そう心に決めると、朝野は大急ぎでお弁当の残りを片付け始めた。

 さて、その日の放課後、終礼が終わるとすぐ朝野は生徒会室に飛びこんで、六限が早く終わってすでに来ていた良維に、昼休みの出来事を話し始めた。良維は黙って聞いていたが、朝野の話が終わると、満足そうにつぶやいた。
「──やっぱり、思ったとおりだ」
「えっ、良維は犯人が誰かわかってたの!?」
 にっこりうなずく良維に、朝野は驚いた。せっかくあたしのお手柄だと思ったのに。まったく、良維にはかなわない。
「でも、どうしてわかったの?」
「実は、昨日の時点で、その人物が例のコピー機を使ったという証拠は目の前にあったんだ。隠密生徒会の秘密を知っていた理由も、大体察しがついていた。ただ、ワープロのことだけ確かめたかったんだ」
 朝野はいたく感心した。さすがは良維、頭の回転が早い。それなら、と朝野は一つだけどうしてもわからないことを良維に聞いてみる。
「ねえ、でもどうして飛鳥井さんはあたしたちを脅迫したりするのかしら」
 それを聞き、良維はぽかんと口を開けた。しばらく呆気にとられたような顔で朝野を見ていた良維だったが、気を取り直すと、半ば呆れたように言った。
「朝野、おまえ全然わかってないな」
「え……って、じゃあ、良維にはそれもわかってるの!?」
 朝野のとんきょうな叫び声に、良維は苦笑する。その問いには答えず、彼は腕時計にちらと目を走らせると、
「あと五分か。そろそろ行こう」
と立ち上がった。よくわからないまま、彼とともに朝野が部屋を出ると、藤貴がやってきた。そろそろ他の連中も来る頃だ。
「殿、どちらへ?」
 たずねる藤貴に、
「脅迫者に会ってくる。留守は頼んだぞ」
と言いおき、良維はさっさと歩きだした。
「お気をつけて」
 藤貴の声を背に、朝野は急いで良維の後を追った。

 三時二十分ジャストに三十四号教室の前まで来ると、良維は声をひそめて朝野にささやきかけた。
「これからなにが起こっても、驚くなよ」
 それがどういうことなのか、朝野がまだ理解しないうちに、良維は教室の後ろのドアを静かに開いた。
 脅迫状の主は、すでに教室の中にいた。開かれた窓のそばに、こちらに背を向けて立つ人物のシルエットが見える。逆光のため、こちらからはよく見えないが、その長い髪から、かろうじて女だとわかる。
 朝野ははっとした。髪。飛鳥井さんはこんなに髪は長くない。この人は飛鳥井さんじゃないわ。でも、それなら、いったいこれは誰なの!?
 わけがわからなくなった朝野の視界に、見慣れたペパーミントグリーンのリボンが飛びこんできた。今日も朝から何度か目にしたリボン。このリボンは──まさか、そんなばかな。
 しかし、そのまさかだった。二人の気配にこちらを振り返ったその人物は、まさに、神野青理その人だったのだ。
「さ……たちゃん? どうして……」
 あまりのことに、朝野は絶句してしまった。それに比べ、良維は冷静そのものだ。例の脅迫状を手に、顔色一つ変えず、青理に話しかける。
「やっぱりこれは神野の仕業だったんだな」
「……どうしてあたしだってわかったの?」
 たずねる青理の表情は読めないが、その声は笑みを含んでいて、なんだか妙に楽しそうだ。悪びれた様子など、微塵も感じられない。
「昨日の演劇講習会の小冊子を見て、神野がそれを正門前の写真屋でコピーしたことがわかった。そのついでにこの紙をコピーしたことは、容易に想像がつく。それに、あの小冊子の文章は、神野がワープロでうったものだ。その字体と、この紙の字体はまったく同じだった。そして、神野は隠密生徒会と俺達のつながりを知ることができた、数少ない人物だった」
 だんだん朝野の目も慣れてきた。青理は身動きもせず黙って聞いている。それは、取りも直さず、良維の言葉が正しいということを示していた。
「さつき祭の時、保健室にいたって言ってたよな。あの時、本当は神野は起きていた。そして、俺達の秘密を知った。そうだろ?」
 そこで青理がやっと口を開く。
「……ベッドでうとうとしている時、誰かの話し声が耳に飛びこんできたのよ。『誰かに聞かれたら、浅井くんはここで手当てを受けてたって口裏を合わせるように』って。あたし、てっきり、夢を見たんだって思っていたの。あとになって、浅井体育委員長が足の手当てをしていて閉会式に遅れたっていう話を話を聞くまでは。でも、それを聞いた途端、あれは夢じゃなかったってわかったの。そして、あさんちゃんがあたしによく眠れたか聞いてきたことの本当の意味も。あなたたちにとって不都合なことを、あたしが見聞きしなかったかどうか、確かめるためだったのね」
 そこまで聞いて、朝野はなんだか青理に申し訳なくなってきた。事実を知ったとき、きっと青理は傷ついただろう。裏切られた、とは思わないまでも、親切そうなふりをして、その実青理の様子を朝野が探っていたということは、たまらなく不快に思えたことだろう。悪いことをしてしまった、と朝野はうなだれた。
 そんな朝野の気持ちを知ってか知らずか、青理は話を続ける。
「それで、浅井くんやあさんちゃんが隠密生徒会とつながってるってわかったものの、生徒会=(イコール)生徒会なのかまでははっきりしなかったから、少しかまをかけさせてもらったの。でも、会長自らこうしてやってくるところを見ると、どうやら大当たりだったみたいね」
 くすくす笑う青理。でも、それは声だけで、目はちっとも笑っていない。普段の彼女なら、こんな笑い方はしないのだが。そう、いつもなら、大きな目が細くなり、目尻が下がるのだけど。
 なんだか別の人を見ているようで、朝野は奇妙な違和感を覚えていた。
「それで、飛鳥井弥生に罪をなすりつけようとしたわけか」
 良維がしたり顔でつぶやく。そこで青理は大きく反応した。
「それは違うわ。あれは、あさんちゃんが誤解しちゃっただけよ」
「誤解って?」
 朝野は問い返す。何が誤解なの? だって、現に飛鳥井さんはあたしたちのこと見てたわよ。あきらかに、挙動不審だったわよ?
 朝野の疑問に気づいたのか、青理が答える。
「彼女が見ていたのは、あさんちゃんじゃなくて、このあたしなのよ」
「ええ?」
 朝野が驚きの声をあげた。そんな、てっきり彼女はあたしを見てるもんだと思ったのに。とんだ勘違いだったわけ? だとしたら、飛鳥井さん、ごめん。疑ったりして。
「昨日、弥生ちゃんとささいなことで口論しちゃったのよ。それで、あたしに謝ろうとして、彼女はこっちを見ていたの。彼女、目が悪いから、目つきが悪くて、人をにらんでるみたいに見えるの。それを、あさんちゃんが、自分を見てるんだって誤解しちゃったみたいで……」
「そっ、それじゃ、彼女の持ってた紙は? あたしたちのいない隙に、彼女が置いていこうとしてた紙があるの。あれはなんだったの?」
 朝野は懸命に記憶をたどった。そう、たしかにあの時、飛鳥井さんはなにか紙を持ってあたしたちの席のそばに立っていた。あたしはあれを脅迫状だと思いこんでいたけど、違うの? そうじゃないの?
 青理は少し首をひねった。
「えーと、よくわからないけど、お詫びの手紙だったんじゃないかな。彼女、律儀だから」
 それを聞いて、朝野は納得した。たしかに彼女は律儀な人なんだ。その生真面目さをかわれて、クラブの部長や、委員長などの役目を任されている。彼女なら、お詫びの手紙を持ってきたって、不思議じゃないわ。
 朝野はがっくりした。こうして弥生の疑いがすべて晴れた以上、青理が脅迫状を出したのだと認めざるを得ない。もしかしたら、朝野にもはじめから事の構図は見えていたのかもしれない。ただ、親友の罪を認めたくない気持ちが、弥生へ疑いを向けさせたのかもしれない。だが、ともかく、この犯人は青理だったのだ。それはもう紛れもない事実で、今さら動かしようがない。どんなに信じたくなくても。
 朝野は自分にそう言いきかせると、意を決して青理を真正面から見すえた。青理と目が合う。でも、二人とも目をそらさない。
「……望みはなんだ?」
 良維が威厳をくずさずにたずねる。なんだか刑事ドラマかなにかのよう。
「望み?」
 おうむがえしに言って、青理は怪訝そうに眉根を寄せたが、それでもぽつりとつぶやくように答える。
「作家になること、かな」
「はぁ?」
 驚いたのは朝野と良維だ。隠密生徒会の秘密と、作家になることが交換条件なわけ? それって、それって、やっぱりなんか変よ? 良維もそう思ったらしく、
「そんなこと、俺達に言われたって、かなえてなんかやれないぞ」
と困った顔で言う。答える青理は、これまた困惑顔で。
「誰があなたたちにかなえてくれって言ったの? 夢くらい、自分の力で実現させるわよ。そうじゃなきゃ、意味がないじゃない。人にかなえてもらって、なにが夢?」
 どうも話が食い違っているようだ。朝野たちが秘密を口止めするための条件としての望みを言っているのに対して、青理は将来の夢の話をしていたらしい。それにいち早く気づいて、良維が訂正する。
「夢の話じゃなくて、俺が言っているのは、どうすれば隠密生徒会のことを黙っていてくれるのかということだ」
 青理はきょとんとして首を傾げた。
「あたし誰にも言うつもりないから。別になにもしてくれなくていいわ」
「なにももったいぶることはないだろう。はっきり言えよ」
「本当だってば。なにかしてもらったりしたら、まるであたし、あなたたちを脅迫してるみたいじゃないの」
 あれ? またまた話がおかしいわよ? だって、実際さたちゃんはあたしたちを脅迫していたんじゃないの?
 同じ疑問を良維も抱いたらしく、それを青理にぶつけてみた。
「だって、神野のよこしたこの手紙は、脅迫状だったんじゃないのか?」
 それを聞いて、青理は一瞬絶句した。
「なっ、なによそれ。あたしはただ、秘密を知ってるってことを知らせておこうと思っただけよ。どうしてあたしが脅迫なんかしなくちゃならないの? 理由がないじゃない」
 そう言われてみれば、その通りだ。でも、あの文章では、誤解されても文句は言えないと思うのだが。
 しかし、青理のこの言葉に、朝野は心底ほっとした。よかった。さたちゃんが悪意であんなことをしたのでなくて、本当に良かった。おかげで、友だちを一人なくさずにすんだ。さたちゃんに悪意があったのだったら、このまま友だちでいることなんて、とてもできなかったもの。
 一方良維は、安心して喜ぶ朝野を横目で見つつ、考えこんでいた。青理の処置について。いくら今は脅すつもりがなくとも、いつなんどき青理の気が変わるかわからない。それを考えると、青理を生徒会の監視下に置いておくのが得策というものだ。幸い、文化系クラブ連絡委員会の副委員長の席が空いている。それなら、準生徒会役員のようなものだし、こちらの目の届く範囲だろう。
 よし、と大きくうなずいて、良維は青理に向かって宣言した。
「神野、おまえを文化系クラブ連絡委員会副委員長に任命する。引き受けてくれるな?」
 有無を言わさぬ強い口調だ。さすがに会長ともなると、迫力が違う。普通の人間なら、まず気おされてうなずいてしまうところだ。
 しかし、青理もさるもの、はったりでは負けてはいない。演劇部員特有の物怖じしない性格と、なみなみならぬ度胸を発揮して、平然を装い言い返す。
「それはあたしを見張るため? そんなにあたしが信用できないの?」
「そうじゃないが、秘密を知られた以上、放っておくわけにはいかないんだ。なにせ、この秘密は生徒会の存続を左右するほどのものだからな」
 にらみあう二人の間に、緊張感が漂う。火花でも散りそうだ。漫画かなにかなら、雷でも背負っているところだ。
 朝野ははらはらしながらその様子を見ていた。なんとか穏便に片付くといいのだけれど。知っている人間同士で争うところなんて見たくない。
 その願いが通じたのか、やがて青理がふっと表情を緩めた。
「……いいわ。神野青理、文化系クラブ連絡委員会副委員長職、お引き受けいたします。でも、誤解しないでね。あなたに言い負かされたわけじゃないわよ。あたしが断ったら、誰もなり手がないだろうから、引き受けてあげるのよ」
「そいつは、どうも」
 にやりと笑って、良維が言葉を返す。
「お言葉だが、俺が一声かければ、副委員長でもなんでもやってやろうってやつは、ごまんといるんだ。見くびってもらっちゃ困るな」
「あらそう。じゃ、あたし引き受けるのやめようかな。代わりに、その五万人のうちの誰かさんにやってもらうといいわ」
「それはだめだ。一度引き受けたものを、やっぱりやめた、なんて社会じゃ通用しないぞ。約束したことはきちんと守ってもらわなくちゃな」
 さおりは、言ってくれるわね、と顔をほころばせた。
 話にもうまく区切りがついたところで、良維はその場を引き揚げることにした。
「じゃ、生徒会室に戻るか。他の役員たちに紹介するから、神野も来い」
「はいはい。人使いのあらい会長さんだこと」
 肩をすくめた青理と、朝野の目があった。と、青理は目尻を下げて、笑いかけてきた。
「これで、今までよりも長くあさんちゃんと一緒にいられるね」
 冗談とも本気ともつかない言葉を投げかけてくる青理の表情も口調も、いつもの彼女のもので、さっき良維と対等に渡り合っていた時のあの勝ち気な瞳の輝きは微塵もみられない。
 いったいどちらが彼女の本当の姿なのだろう。朝野は正直言って、青理がよくわからなくなった。

 三人が生徒会室に戻ると、やけに人口密度が高くなっていた。いつものメンバーに加えて、前役員の先輩三人が来ていたからだ。先輩たちは、良維の姿を見ると、楽しそうに声をあげた。
「おい、良維。元気か?」
 そう言ったのは、前会長の仙道尚樹(せんどう・なおき)。三年生なのに童顔で、良維と並ぶと、どちらが先輩だかわからない。
「この間はずいぶん大活躍だったそうじゃないか。え?」
 ひょうひょうとした前副会長の根本俊也(ねもと・しゅんや)も顔を出す。もう一人、前書記の飛鳥井智明はというと、のんきに青理と挨拶なんぞかわしている。
「さたちゃん、飛鳥井先輩と知り合いなの?」
 朝野がたずねると、青理は当たり前のように答えた。
「弥生ちゃんちに遊びに行ったとき、何度かお会いしたことあるよ」
「そうなんだよね。いつも妹がお世話になってます。ちょっと取っつきにくいやつだけど、弥生(あいつ)のことよろしく頼むね」
 先輩に頭を下げられて、朝野は恐縮してしまった。よろしくもなにも、その飛鳥井さんのことをついさっきまで疑ってたのよね、あたし。ああ、なんか罪悪感。先輩、ごめんなさい。
「ところで、先輩たち。今日はなんの御用ですか?」
 良維に言われてはじめてこの訪問の本来の理由を思い出したらしく、尚樹は手に持っていたシューアイスの箱を机の上に置きながら言う。
「そうそう。今日はこれを差し入れに来たんだ、俺たち」
「えっ、差し入れ!?」
 現役員たちの目の色が変わった。ちょうどなにかおやつが欲しいなと思っていたところだったのだ。
 その様子をにやにや眺めつつ、俊也が言う。
「おまえら、かなり頑張ってるようだからさ。俺達三人で自腹を切ったんだよーん。ありがたく食して、よりいっそう精進したまえ」
「わーい、ありがとうございます!」
 現役生徒会役員の面々の顔が輝いた。三年生たちは満足そうにうなずくと、
「では、またなっ」
と言いおいて、帰っていった。
 さあ、途端に、残ったメンバーは、差し入れのシューアイスに群がった。
「あたしバニラ、あたしバニラ!」「ストロベリー1個ちょうだい」「チョコはあたしの!」「抹茶よこせ」「コーヒー下さーい!」「お、これ、ヨーグルトだ」「わーい、マロン取った!」などと実にけたたましい。それでもなんとか各々がシューアイスを獲得し、ほおばり始めたとき、突然朝野が素っ頓狂な声をあげた。
「あーっ! 良維、こっ、これ」
「なんだ、朝野ストロベリーだめだったのか? このヨーグルトとかえてやろうか。まだかじってないぞ」
「そうじゃなくて、これよ!」
 朝野が指さしたのは、生徒会室のドアだった。一同の視線が、ドアの一点に釘付けになる。そこには、一枚の紙が画鋲でとめてあった。そして、その紙は──脅迫状だった。青理のよこしたものと違って、それはあきらかに脅迫状だった。間違いない。なぜなら、その紙の1行目に、脅迫状、とあるからだ。
「なんだ? また神野の仕業か?」
 うんざりしたように言う良維に、ちゃっかりバニラのシューアイスにありついていた青理がくってかかる。
「あたしのは、脅迫状じゃなくて、お知らせ。人聞きの悪いこと言わないで」
「あら、例の脅迫状の主って、神野さんだったの?」
 藤貴が驚いて言う。他の面々も少なからずびっくりしているようだ。そういえば、まだ事の真相をみんなに話していなかったっけ。
「だから、あれはお知らせだったんだってば!」
 青理が断固として力説する。うーん、そんなに言うんなら、青理がやったんじゃないのかも。大体、今回は手口が大胆すぎる。役員たちの目を盗んで堂々とドアに貼りつけていくなんて。それに、文面もずいぶん違う。青理のと同じ、ワープロ書きだが、『脅迫状──おまえたちの正体を知っている。ばらされたくなければ、我々の言うことをきけ。また連絡する』だなんて、どこから見ても脅迫状だ。
 しかし、青理の仕業ではないとすると、誰がこんなことをしたのだろう?
「いったいいつの間にこんなものを貼られたんだ」
 素早くシューアイスを食べてしまってから、良維がうなる。抹茶のシューアイスをかじりつつ、数央が答えて言う。
「少なくとも、進藤たちが戻ってくるまではそんなものはなかったぞ。それだけは断言する」
「とすると、それ以後にこの部屋に出入りしたものが犯人ということになるが──念のために聞くが、この中に犯人はいないよな。もしいたら、正直に名乗り出てくれ」
 良維がめいめいの顔を見回す。誰も名乗り出るものはいない。となると、考えられる答はただ一つ。
「……先輩たちだな」
 ええっ、と他のメンバーが驚きの声をあげる。納得できずに朝野がくってかかる。
「そんなっ、どうして先輩たちがあたしたちを脅したりするの? それこそ理由がないじゃない」
「俺達をからかって楽しんでるんだよ、先輩たちは。大体、差し入れのためだけに来るような気のいい人たちじゃないんだ。きっと、差し入れした分、楽しませてもらおうって腹に違いない」
 うーむ、ひどい言われよう……。でも、言われてみればそうかもしれない。確かにあの人たちは一筋縄ではいかない人たちだものね
 はあ、と一つためいきをつくと、良維は閉じたドアごしに声をかける。
「先輩。そこにいるんでしょう。わかってるんですよ。出てきてください」
 すると、一呼吸おいて、三人がどやどやと入ってきた。
「ちぇー、もうばれてんの。もう少し楽しませてもらえると思ったのにな」
 俊也が頭をかきながら言う。
「あ、僕も一つもらうよ」
 悪びれもせず、智明はシューアイスに手をのばす。尚樹もそれに便乗して手を出したが、箱の中をのぞくと、
「ああ、俺のバニラがない」
と悲しそうにつぶやいた。
「よく見なよ、尚。ドライアイスの陰に一つ隠れてるよ」
「……あ、本当だ、あった。ラッキー! 智は冷静によく見てるな」
「そうでもないよ」
 ぱくりとマロンをひとかじり。しかし、こう見えて、この智明が三人の中で一番の曲者なのだから、油断してはいけない。おそらくは、この脅迫状騒ぎも、発案者は智明だったに違いない。
「先輩」
 恨みがましく良維は三人をにらむ。
「ひどいじゃないですか。いたいけな後輩たちをからかわないでくださいよ」
「いいじゃないか、たまには。俺達だって、おまえたちがかわいいからこそ、忙しいのにシューアイスまで持参して遊びに来てやってるんだからさ」
 いつの間にかストロベリーのシューアイスをぱくつきながら、俊也。
「ったく。わざわざこんな脅迫状作ってまでからかうなんて、悪ふざけが過ぎやしませんか」
 良維は、ドアに歩み寄り、脅迫状をドアからはがしながらぽつりと言う。
「それ、もしかしてあたしに言ってない?」
と青理。
「あ、それ、返してくれないかな」
 智明が良維に向かって手を差し出す。
「それ、本当は僕の小説の最初のページなんだ。まだ必要だからさ」
「小説?」
 良維がはがした紙を智明に手渡しながらたずねる。
「そう。『脅迫状』ってタイトルの、長編推理小説なんだ。自分で言うのもなんだけど、なかなかいいものいなりそうなんだよ」
 その紙を受け取ると、智明はさも大切そうに鞄の中にしまった。
「えー、小説書いてるんですかー? すごーい」
 広瀬が単純に感動する。
「あたし、文章書くの苦手だから、尊敬しちゃう」
「書きあがったら、ぜひ読ませてください。実はあたしも小説書いたりしてるんです」
 青理も負けじと会話に参加する。それをきっかけに、みんな好き勝手に話し始めて、なんだかまるきり新旧生徒会の親睦会のようになってしまった。でもまあ、たまにはいいか。
「あ、そうだ」
 朝野がなにごとか思い出し、ぽんっと手をうつ。
「今のうちに、あたし英語科準備室に行ってくる。須並(すなみ)先生に呼ばれてたの」
 須並先生というのは、英語科の先生で、生徒会の顧問も兼ねている。しかし、顧問だとはいえ、香魚川の生徒会は自治性が強いので、あまり大きな影響力は持っていない。隠密生徒会が生徒会の裏の顔だということも、多分知らないだろう。
 すぐ戻るから、と言って出ていった朝野は、ものの5分もたたないうちに戻ってきた。手に二通の手紙を持っている。
「別にたいした用事じゃなかったわ。この手紙が先生の方に届いてたからって、渡してくれたの」
「手紙って、誰からだ?」
 良維が聞いてきた。
「んーと……一通は、矢神さんから。もう一つは……変ね、差出人の名前がないわ」
「中の便箋に書いてあるんじゃないですか。きっと、うっかり書き忘れたんですよ」
 拓未の言葉にそうねとうなずいて、朝野は差出人の名前のない、白い封筒の封を切った。中から出てきた便箋にさっと目を走らせると、朝野は目を見開いた。
「……良維、まただわ」
「またって、なにが」
 先輩たちとの話に夢中で、良維は適当に聞き返す。
「だから、また脅迫状なの」
「なに!?」
 今度はさすがに良維もあわてて立ち上がった。朝野から便箋を受け取ると、食い入るようにそれを見つめる。
 今度の脅迫状は、なんの変哲もない白地の便箋に、新聞かなにかの活字を並べて文章にしたものだった。様々な字体の文字が、『隠密生徒会へ。このままですむと思ったら大間違いだ。このお返しは必ずさせてもらうからな。楽しみに待っていろ』と並べられている。文面からすると、隠密生徒会に恨みをもつ者の仕業か。あきらかに、悪意がプンプン匂ってくる。
 度重なる脅迫状の来襲に、頭が痛くなったのか、良維はこめかみを押さえながらたずねる。
「念のために聞きますが、これは先輩たちじゃありませんよね」
「ったりめーだーな」
 なぜか胸を張って俊也が答える。
「いくら俺達でも、そこまで手の込んだ悪質な真似はしねえよ」
 次に、良維は青理に目を向けた。
「だから、なんであたしを見るのよ! あたしじゃないってば!」
 怒ったような青理の言葉に、良維はがっくりと首をうなだれた。
「とすると、こいつは本物の脅迫状、ということか」
「三度目の正直ってやつだな」
 数央が低くつぶやいた。
 そういう次第で、各自自分の席に着き、早速その脅迫状に関する緊急の話し合いが開かれた。青理も準会員として特別に参加が許され、三年生の三人は、オブザーバーという形で加わることになった。
「さて」
 議長にあたる良維が、他のメンバーを見すえて、口を開いた。
「まず、この脅迫状自体に関してだが、この用箋は、文房具屋なんかで普通に売られている便箋だし、封筒もよくある市販のものだ。従って、誰にでも入手可能で、差出人の特定に関しては、なんの役にも立たない。封筒の消印は、市内の郵便局のもの。宛名は、筆跡を隠すためか、定規で引いたような字で書かれている。これ以外の点で、何か気づいたことがあったら言ってくれ」
「はい」
 智明がすかさず挙手した。良維議長は迷うことなく彼を指名する。
「飛鳥井先輩、どうぞ」
「この文字は、多分『鷹見(たかみ)タイムス』から切り取られたものだと思うよ」
 あんまりあっさり言ってのけるので、その場が一瞬ざわついた。ちなみに、鷹見タイムスというのは、この市内ほとんどの地域の家庭に無料で配布される、毎月二回発行のタウン新聞とでもいうべきものだ。編集室が市内鷹見台にあるので、その名が付けられている。
「どうしてそう簡単にわかるんですか?」
 不思議に思い、朝野がたずねた。
「いや、鷹見タイムスの活字は、わりと特徴あるんだよね。そうでなくたって、ある程度の種類の新聞を普段から読みくらべていれば、これくらいの見分けはすぐにできるよ」
 ともあきはさも当然のように言い放った。シャーロック・ホームズじゃあるまいし、本当にそんなことができるものなのかしらと思いながらも、朝野はひとまずうなずいて引き下がった。
「そのことと、消印のことからして、犯人は市内に住んでいる、あるいは市内に知り合いがいる、あるいは市内に通勤・通学している、と結論づけることができそうですね」
 メモを取りつつ、藤貴がそこまでの内容をまとめた。
「他になにかないか」
 良維が意見を求める。
「あの……」
 おずおずと拓未が手をあげる。
「浅井、なんだ?」
「これは推測にすぎないんですが、この文面からすると、どうやら犯人は隠密生徒会に恨みがあるみたいですよね。でも、恨んでいるのが今の代の隠密生徒会なのか、それとも他の代の隠密生徒会なのかまではわかりません」
「その通りだ。なんたって、隠密生徒会はずいぶん昔から続いているからな」
 議長の同意に促されたように、拓未は思い切って言葉を続けた。
「でも、いずれにせよ、隠密生徒会の正体を犯人に知られたのは、僕のせいだと思います」
 悲痛な表情の拓未に驚いて、良維が笑いながら言う。
「何を言ってるんだ。そんなわけないだろう」
「いいえ! さつき祭の閉会式に僕が遅れたのを、犯人はきっと不審に思ったんですよ。僕は生徒会の一員だし、そういうきっかけがひとつあれば、生徒会と隠密生徒会を結びつけて考えるのは、案外たやすいことだと思うんです。だから、きっと僕のせいなんです!」
 拓未はすっかり半泣き状態で、テーブルの端を握りしめている。と、みしっと音がして、拓未の握っていた辺りから、テーブルに一筋ひびが入った。幸いなことに、拓未がすぐに気づいて手を離したので、それ以上ひどいことにはならなかったが。
「浅井、まあ落ち着けよ」
 良維は落ちこむ拓未の肩をぽんぽんとたたいた。
「仮におまえの言うとおりだとしても、これは俺達全員の連帯責任だ。みんなで対処すべき問題なんだ。俺達が隠密生徒会としてやっていく以上、こういったことはこの先何度も起こるだろう。もちろん、そうなることのないように注意しなくちゃならないのは当然だが、それでも事が起こってしまったときには、それを悔やむことより、それにうまく対処することの方が大切なんだよ。今もそうだ。今俺達がしなくちゃならないのは、誰の責任か追及する事じゃない。この事態をどうやって切り抜けるか考えることだ。わかるな?」
「……はい」
「よし。じゃ、どうすべきか考えよう」
 やれやれ。良維がうまくおさめてくれたので、その場の者はみな一様にほっとしていた。みんな、しめっぽい雰囲気は苦手なのだ。
 そうして、話し合いが再開されたのだが、その後はたいした意見は出なかった。差出人が不明である以上、特に対処のしようもなく、ひとまず様子をみようということで、今日のところはお開きとなった。
 その時点で、すでに五時近くになっていたため、長刀の稽古のある藤貴をはじめとして、青理、拓未、広瀬、そして三年生たちは、帰宅の途についた。残った朝野、良維、数央の三人は、別に急ぐ用事もないし、早子からの手紙を読んでから帰ることにした。

 良維がはさみで茶封筒の封を切り、便箋を取り出す。二枚にわたってきっちりとした字で書き込まれた文章を読み進むうち、良維はうーんと考えこみ始めた。
「なあに、どうしたの? なにかまずいことでもあった?」
 心配して朝野が顔をのぞき込もうとすると、良維はあわてて首を横に振った。
「いや、たいしたことじゃないんだ。ただ、気になることが書いてある」
「気になることって?」
 良維は、一枚目の後半からの部分を指し示した。
「ここのところだ。『先週──つまり、さつき祭の日のことだな──問題を起こした生徒たちの間に、不穏な空気が漂っています。この二、三日、彼らはまた徒党を組み、なにやら企んでいる様子です。連中が隠密生徒会を逆恨みしていることも考えられますので、まさかとは思いますが、あなた方も十分お気をつけください。貴校の、連中の仲間にも、注意を払った方がよいかもしれません』」
 それを聞いて、朝野と数央は良維に視線を向ける。
「それって──今回あたしたちに脅迫状を送ってきた犯人は、あの賭博組織の連中だってこと?」
「断言はできないけどな」と、良維。
「しかし、その可能性は大いにあるな」
 うーむ。三人は黙りこんでしまった。さて、どうしようか。
「……明日にでも、矢神さんに連絡を取ってみよう。例の賭博組織に関係していた生徒について、問い合わせてみなくちゃならないな」
 良維が腕組みしてつぶやくように言う。うん、とあとの二人もうなずく。
「とりあえず、しばらくはしっぽをつかまれないように、おとなしくしていた方がいいだろうな」
 言いながら、良維が帰り支度を始めたので、朝野と数央もそれにならった。問題の脅迫状は、良維がノートにはさんで自分の鞄にしまった。鞄を閉じると、良維はやおら立ち上がった。
「さあ、朝野。帰るか」
「あ、うん」
 朝野は、あわてて鞄を胸に抱えて席を立つ。数央ものっそりと部屋を出て、ドアに南京錠とダイヤル式の錠とをかけた。ダイヤル式の方はずっと以前からのものだが、南京錠は、数央が経理委員長になったときに新調したもので、役員たちはいつでも出入りできるよう、全員合い鍵を持っている。
「それじゃ、また明日」
 数央に別れを告げると、朝野と良維は一緒に歩き始めた。
 朝野と良維は、同じ町内に住むご近所さんで、家から学校までは、共に十分くらいである。
 季節は六月。初夏から夏へと向かうこの時期、この時間帯はまだ外も明るい。だから、せっかく二人きりで歩いていても、特別ムードというものは出ない。
 にもかかわらず、朝野は少しどきどきしていた。大好きな良維と二人きりで肩を並べて歩けるなんて。そりゃ、生徒会の帰りはよく一緒になるけれど、たいていの場合は、途中まで同方向の藤貴と三人なのだ。今日みたいにうまく二人きりになれることなんて、めったにない。
 だから、朝野は変に緊張してしまって、なにを話せばいいのかもわからず、黙って良維の歩みにあわせて足を動かすだけだった。
 良維はというと、最初は脅迫状について考えている様子だったが、しばらくして、ふと顔を朝野に向けた。
「そうだ、朝野。前からおまえに言おうと思ってたことがあるんだ。でも、なかなか切り出しにくくって、今まで聞けなかった」
 その言葉を聞いて、朝野はどきっとした。良維の目は照れたように笑っていて、じっと朝野を見つめている。ちょ、ちょっと待って。この雰囲気って、なんだか……。
 朝野の首筋に、うっすらと汗がにじんだ。鞄をきつく抱きしめた手のひらは、緊張のあまり、汗を握っている。心臓の鼓動がどんどん早くなる。耳の辺りでどくどくと血が脈打つ音が聞こえるよう。
 落ち着かなくちゃ。こら、朝野、落ち着きなさい。まだなにも言われてないんだから。変に期待しちゃだめよ。
 そうやって朝野が気持ちを静めようとしてあせっているのも気づかず、良維は、朝野の肩に手をかける。朝野がぴくりと身を震わせた。胸の鼓動をおさえつつ、良維の次の言葉を待つ朝野。
「朝野……この間の数学の試験の結果、どうだった?」
「……は?」
 朝野は呆然とする。一瞬にして頭の中が真っ白だ。
「いやさ、なかなか言ってくれないから、もしかしてあまり良くなかったのかもしれないと思って言い出しにくかったんだけどさ。でもやっぱり、俺としては気になるから。……朝野?」
 名を呼ばれて、朝野ははっと意識を取り戻した。
「え? あ……あ、数学ね。うん、まあ、結構良かったわよ。68点だった」
「そうか!」
 良維はぱっと目を輝かせた。
「よく頑張ったな、朝野。いや、今ちょっと反応が遅かったから、聞くべきじゃなかったのかと心配したんだ。よかった、よかった」
「あははは、ありがとー。あははは」
 そう笑う朝野の表情は、少しひきつっていた。良維に悪気がない分、こっちはやりきれない。顔で笑って心で泣く朝野であった。
 と、良維がさっと後ろを振り返った。鮒橋学園の制服を着た一人の男が、足音もなく二人の後ろに忍び寄っているのに気づいたからだ。
「香魚川の生徒会長と副会長だな」
 低くくぐもった声がその男から発せられた。サングラスをかけているので、男の人相はよくわからない。
 良維はさっと朝野の前に立った。さりげなくかばってくれているのだ。
「……そうだが、何か用か」
 男をにらむようにして良維がたずねる。男は、へっ、と口を歪めて笑うと、後ろ手に隠し持っていた鉄パイプのようなものでいきなり二人に殴りかかった。
「先週の礼をさせてもらうぜ!」
と叫びつつ。どうやらこの間の賭博組織の人間らしい。とりあえず一発目は難なくかわした二人だが、その後が問題だ。あまりここで派手に暴れるわけにはいかないのだ。力いっぱい戦ってしまったら、自分たちが隠密生徒会だと認めることになるからだ。
「一体なんのことだ! 俺達はおまえなんてしらないぞ」
 男の攻撃を避けつつ、良維が怒鳴る。
「とぼけても無駄だぜ! ネタはちゃんとあがってんだからな!」
 男は逆上して、パイプを大きく振りかぶった。
 その時、「あぶない!」と声がして、遠くからその男めがけて長い棒のようなものが飛んできた。その棒は、ちょうど男の足の間にはさまり、パイプを今まさに二人の頭上に振り下ろそうとしていた男は、その拍子に足をもつれさせてつんのめった。そこへ、飛ぶような速さで藤貴が駆けてきた。今のは彼女のしたことだったのだ。とすると、彼女が投げつけたのは、長刀かなにかだろう。
 藤貴は無様に前のめりに倒れている男の襟首をつかむと、その鳩尾めがけ、拳で鋭い一撃を加えた。男はうっとうめくと、白目をむいて気を失ってしまった。
「殿、ご無事ですか」
 意識のなくなった男を放り投げると、藤貴はまずそうたずねた。
「ああ、大丈夫だ」
 表情一つ変えずに良維が答える。
「それにしても、どうして高崎がここに?」
「稽古に向かう途中にございます。道場はすぐそこですので」
 先程投げた棒のようなものを藤貴は拾いあげた。その形からすると、やはりそれは布か何かでくるんだ長刀らしい。
「ときに、この男は?」
「この間の賭博組織の関係者らしい。脅迫状を出したのも、多分こいつらだろう」
 藤貴にそう言って、良維は倒れている男のサングラスを取りあげる。その男の顔に、朝野と良維は見覚えがあった。さつき祭の時、鮒橋の屋上にいた男たちのうちの一人だ。
「賭博組織の連中、やはり逆恨みしているようだな」
 良維のつぶやき声に、朝野は不安な表情になる。
「良維……これからどうするつもり?」
 良維は、朝野と、これまた心配そうな藤貴とに向き直り、余裕の微笑みを見せた。
「大丈夫だ。きっとなんとかしてみせるから。相手の正体がわかったからには、もう黙っているもんか。明日早速作戦会議だ。二人とも、いいな?」
 二人は小さくうなずいた。朝野は、まだ少し不安は残るものの、この幼なじみの力強い口調と、自信満々な表情に頼もしさを感じていた。良維が何を企んでいるのかはわからないが、きっと彼はうまくやるだろうという確かな予感が、朝野にはあった。そして、事実良維は、一度なんとかすると言ったことは、実際になんとかしてしまう、決して人の信頼を裏切らない男だったのだ。


話 ─終─

隠密生徒会インデックス
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