話α

by.保篠



 真紀の声に導かれて、わたしがやって来たのは、駅前の賑やかな通りの一角だった。
「ここが本部よ」
 真紀の言葉に、あたりを見回す。わたしの目に入ったのは、居酒屋や書店、コンビニにゲームセンターにカラオケボックス。真紀の言う「本部」らしき建物は見あたらない。
「なにきょろきょろしてるの? 目の前にあるでしょ」
 目の前にある建物をまじまじと見る。派手なネオンで彩られた看板。店内から聞こえてくる流行の音楽。
「……ただのカラオケボックスに見えるんだけど」
「表向きはね。さ、入ろうよ」
「う、うん……」
 とまどいながらも、自動ドアの前に足を進める。
 スーッとドアが開くと、正面に受付のカウンターがあり、見るからにアルバイトの青年がだるそうに立っている。
 カウンターまで近づいて行ったものの、それからどうしたらいいのかよくわからない。
「あ、あの……」
 言いよどむわたしの言葉を押しのけるようにして、真紀が彼に話しかける。
「『アレス』は空いてる?」
「いえ。『香港』なら空いてますけど」
「そ。ありがと」
 そして、再びわたしを促す真紀。
「雅水、行こ」
 とりあえず真紀の言葉に従って店内の長い廊下を歩きながら、疑問を彼女にぶつけてみる。
「今の『アレス』ってなに?」
「個室の名前。ほら、他の部屋を見て」
 言われてみると、個室のドアの上のプレートには、『ヘルメス』『アフロディテ』といったギリシャの神々の名前が刻まれている。
「でも、それは表向きの話。本当は、あれが合い言葉になってるの。ほら、『アレス』はローマ神話では『マルス』でしょ」
 なるほど、そして、『マルス』といえば火星のことだ。
「じゃ、『香港』は?」
「それは……行けばわかるわ。ほら、その突き当たりの部屋よ」
 真紀が示したその部屋には、名前のプレートがなかった。不思議に思いつつその部屋の前まで行くと、中から微かに歌声が聞こえてきた。
 ガラスのドアから中を覗いたわたしの目に飛び込んできたのは、なんとも妙な光景だった。
 個室の中では、深いスリットの入った真っ赤なチャイナドレスを着た女性が、マイクを手に立ち上がり、真剣な表情で熱唱していた。年齢は、20代半ばぐらいだろうか。なかなかエキゾチックな顔立ちの美人だ。そして、モデルのような均整のとれたプロポーションをしている。あれだけスタイルが良ければ、チャイナドレスが似合うのも当然だ。
 呆然と彼女に見とれていたわたしに、真紀がそっとささやきかける。
「彼女は、シンディ・ウォン。まあ、私たち担当の連絡係みたいなものかしら。香港出身で、北京語、広東語、英語、日本語を自在に操るのよ」
「ああ、それで『香港』なわけね」
 と、人の気配に気づいたのか、シンディがこちらに目を向けた。ガラス越しに目が合う。
 その瞬間、彼女はテーブルの上のリモコンにさっと手を伸ばし、素早く演奏を止めてしまった。
 ……人に聴かれたくないのかな……?
 
 ドアを開けて中にはいると、ソファに腰かけながら、シンディが呆れたような口調で話しかけてきた。
「今日も随分待ったわよ。まったく、あなた達のおかげで、レパートリーが増える一方だわ」
 真紀がそれに対して憎まれ口をたたく。
「じゃ、無理して歌って待ってなくたっていいのに」
「カラオケボックスに一人で来て、歌も歌わずにいたら、他の人に怪しまれるじゃない」
 それは確かにそうかもしれない。そうでなくたって、シンディのような派手な美人はそれだけで目立つのに。
「そんな話はどうでもいいわ。で、雅水。首尾はどうだったの?」
 シンディに問いかけられて、わたしは困ってしまった。一体どう答えたらいいのだろう。
 わたしの当惑に気づいた真紀が、代わりに答える。
「それが……どうも困ったことになったみたいなの」
「どういうこと?」
 真紀が大体の事情をかいつまんで説明する。それを聞いて、シンディの顔色が変わった。
「なんですって?! 真紀、あなたがついていながら、なんてことなの!」
 真紀が言葉に詰まったのがわかった。わたしはあわててシンディをなだめる。
「あの……真紀を責めないで。こんなことになっちゃったのは、わたしの責任だと思うし……」
 シンディはそんなわたしを見てためいきをついた。
「……そうね。真紀を責めたって、どうしようもないわね。それより、雅水。あなたは大丈夫なの? 奴らに洗脳されたりしてない?」
「それはないと思うわ」
 真紀が即座に答える。
「いくら奴らでも、私に気づかれずにそんなことできないはずよ。いくら……火星人でも、ね」
「それはそうね……」
 その時、急に部屋の内線電話が鳴りだした。飛びつくようにシンディが受話器を取る。
「はい、もしもし……ボス?!」
 はっと表情をひきしめたシンディは、わたしの方をちらちら見ながら、声をひそめてなにやら熱心に話し始めた。
「ねえ、真紀。ボスって一体……?」
「え? ああ、ボスっていうのは、この地球防衛本部の最高責任者よ。まあ、私たちの上司ってことになるかしら……」
 しばらく話し込んだ後、シンディは受話器を置き、わたしの方に向き直った。その表情は、真剣そのものだ。
「……ボスが、直接話を聞きたいとおっしゃってるわ。もうじきここに来られるはずよ」
 それを聞いて、真紀が息をのむ気配がした。
 記憶を失ったわたしにはよくわからないけれど、真紀とシンディの態度からすると、ボスと会うということは、どうやら大変なことらしい。
 わたしたちの上司であり、地球防衛本部の最高責任者である、「ボス」。それは一体どんな人物なのだろう。そして、彼の来訪は、わたしたちに何をもたらすのか。
 わたしは、なにかが起こりそうな予感に、ただ身を震わせるばかりだった。

話α ─終─

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第二話α(Ryuko)