クリスマスなんか大



 十年前のクリスマスの夜、大好きだった兄が死んだ。
 それ以来、みづきはクリスマスが大嫌いになった──


「六時に、駅前広場で」

 五時五十分。約束の時間の十分前。待ち合わせ場所の広場のベンチで、すでにみづきはそんな約束するんじゃなかったと後悔し始めていた。
 そもそも、最初から乗り気ではなかったのだ。クリスマスなんて大嫌いだというのに、クリスマスイヴにクリスマスパーティーだなんて。

「私、行かないよ」
 クリスマスパーティーの誘いを即座に断ったみづきに、友人たちは必死に食い下がってきた。
「そんなこと言わないでよ。中学最後のクリスマスなんだしさ、みんなで楽しもうよ」
「嫌。私がクリスマス嫌いなの、みんなもよく知ってるでしょ?」
「そりゃそうなんだけどさ……」
 まったく耳を貸そうともしないみづきのかたくなな態度に、友人たちは困り果てていた。
 そんな中、一人がこう言ったのだ。
「じゃあさ、クリスマスパーティーじゃなくて、忘年会だったらどう? それならいいよね?」
「それは……まあ」
 しぶしぶうなずいたみづきを横目に、友人たちはあっという間に話をまとめてしまった。
「じゃ、決まりね。二十四日の夜、私の家で」
「プレゼント交換もするからね。一人、千円までってことで」
「ケーキとかジュースのお金は、あとで人数で割るってことでいいよね」
 ……みづきが口をはさむ暇もなかった。

「結局、クリスマスパーティーなんじゃない。そういうのって、詭弁って言うんじゃないの?」
 足元を睨んだまま、みづきは独りごちた。
 親の敵でも見るように、舗装されたレンガの継ぎ目を見詰めているのは、顔を上げたくないからだ。少しでも視線を上に向けたら、嫌でもあれが目に入ってしまう。あれ──みづきが避け続けているクリスマスの象徴ともいえるもの──クリスマスツリー。
 駅前広場のクリスマスツリーといえば、このあたりではちょっとした名物だ。本物の大きなもみの木に、きらきらと輝く数々のオーナメント、そして色とりどりの電飾。クリスマスシーズンには、いつも以上に待ち合わせ場所として賑わいを見せる。
 クリスマスに関わるものすべてを忌み嫌っているみづきは、この時期ここを通るときはいつもうつむいて足早に立ち去ることにしていた。でなければ、遠回りになっても他の道を通るか。なのに。
「よりによって、なんでここで待ち合わせなのよ」
 今さら言っても仕方がないと分かっていても、愚痴をこぼさずにはいられない。確かに、この場所は町のどこから来るにしても便利だし、クリスマスが好きな人にとっては、待ち時間にツリーを見ているのもとても楽しいものなのだろう。
 でも、みづきにとっては──
 クリスマスツリーなんて意地でも見るものかと心に決め、みづきは唇を強くかみしめた。そんな彼女の頬を、ひやりと冷たいものがかすめる。何ごとかと目をこらすと、足元に敷きつめられたレンガの上に、小さな白い粒が落ちては溶けていくのが見て取れた。
 そっと手を広げると、てのひらに舞い落ちる綿のような雪。今年最初の雪が、この町にもとうとうやってきたようだ。といっても、こんなぼたん雪だから、どうせ積もることもなく消えてしまうに決まっているけれど。
 雪の欠片を握りしめながら、みづきは大きくため息をついた。
「ただでさえ寒いっていうのに、おまけに雪まで降ってくるし。もう、最悪。こんなことなら、早めに来たりするんじゃなかった」
 静かに降り続く雪を見ているうちに、遠い記憶がみづきの脳裏をよぎった。
 ──そういえば、あの日も雪が降っていたんだ。陽ちゃんが事故にあった、十年前のあの日。クリスマスを嫌いになる少し前。たしかあの日も、こんな風に寒かったっけ。
 雪の舞い落ちる中、みづきはその日のことをはっきりと思い出していた。


 その日は、朝から寒かった。寒いのが苦手なみづきは、こんな日に出かけたくないと駄々をこねて両親を困らせていた。
 そんなみづきにコートを着せながら、四歳年上の兄、陽太がこう諭したのだ。
「寒くても、今日は出かけなきゃ駄目なんだよ」
「どうして?」
 べそをかきながら問い返すみづきに、陽太は眼鏡越しに笑いかけた。陽太はいつも顔をくしゃくしゃにして笑う。その年の春ごろから眼鏡をかけ始めた陽太は随分と大人びて見えて、なんだか寂しく感じていたみづきだったけど、笑った顔はやっぱり前とおんなじ陽ちゃんで、みづきはその顔を見るたびほっとするのだ。
「それは、もうすぐクリスマスだからだよ」
「クリスマスと今日のお出かけと、なんの関係があるの?」
 唇をとがらせるみづきの首元に、陽太はマフラーをぐるぐると巻きつけた。
「デパートに行って、サンタクロースにもらうものを決めるんだよ。みづきもプレゼント欲しいだろ?」
 プレゼントをもらえなくなっては大変と、みづきは大あわてでうなずいた。
「うん、欲しい」
「じゃあ、今日はちゃんと出かけないと」
 そう言う陽太に手を引かれて、みづきは家を出たのだった。

 デパートに着くと、両親と子供たちは別行動を取ることになった。今にして思えば、あれは陽太にみづきの欲しいものを聞き出させるための作戦だったのだろう。あらかじめ子供たちに下見させて、後でこっそり両親だけで目当ての品を買いに来る予定だったのに違いない。
 人混みの中ではぐれないように、陽太はみづきの手をしっかりと握ったまま、玩具売り場とお菓子売り場を見て歩いた。
「みづき、欲しいもの決まったか?」
 陽太に聞かれて、みづきは首を横に振る。
「ううん、まだ。いっぱいありすぎて選べないよ。陽ちゃんは? もう決めた?」
「うん、決めたよ」
 陽太はその頃流行っていたアニメに出てくるロボットのプラモデルの名前をあげた。
「作ったら、みづきにも見せてやるからな」
「うん! 約束だよ」
 喜ぶみづきと指切りしてから、陽太はふと顔をくもらせた。
「みづき、大変だ。早く決めないと、サンタクロースはプレゼントくれないって言ってる」
 陽太の真剣な表情に、みづきの顔色も変わる。
「うそ! どうして?」
「時間切れだって。あと二十数える間に決めないと、今年はみづきだけプレゼントなしだって」
「そんなのやだ」
 泣きそうな顔をするみづきに、陽太はにっこり微笑みかけた。
「じゃ、急いで決めるんだ。もう時間がないぞ。いーち、にーい、さーん……」
 数を数え始めた陽太に背を向け、みづきはあわてて周りを見回した。
 ゆっくり考えている時間はなかった。陽太は既に十まで数えてしまっている。
 みづきは、近くの棚に目をとめた。クリスマス用のお菓子の並んだ棚、その一角を指さして、陽太に告げる。
「陽ちゃん、みづきこれにする」
 みづきの肩越しに陽太は棚を見た。そこにあったのは、クリスマスツリーをかたどった緑色のガラスの容器いっぱいに詰まった金平糖。
 陽太は不思議そうに首を傾げた。
「みづき、どうしてこれがいいんだ?」
「えっとね、お星さまみたいだから」
 みづきの答えに、陽太が笑みを見せた。
「そっか、みづきは星が大好きだもんな」
「うん、大好き!」
 陽太はツリーの形をした容器を手に取って、しげしげと眺める。
「でも、一人でこんなにいっぱい食べられないだろ。友だちにわけてあげるのか?」
「ううん、食べないの。ずっと飾っておくの。本物のお星さまには手が届かないって陽ちゃんが前に教えてくれたから、その代わりにするの」
 自慢げに答えるみづきに、金平糖の瓶を棚に戻すと、陽太は残念そうな顔をして見せた。
「それはできないんじゃないかなあ。金平糖はずっと置いておくと、溶けて空に帰っちゃうんだ」
「そう、なの? ……じゃあちょっとだけ飾って、溶ける前に幼稚園のお友だちと分けることにする。陽ちゃんにもあげるね」
 それを聞いて、陽太は眼鏡の奥の目を細め、みづきの頭をやさしくなでてくれた。

 その時みづきが陽太と交わした約束は、けれど、ついに守られることはなかった。その日の帰り道、雪でスリップした乗用車が歩道に突っ込んできて、みづきの隣にいた陽太をはねたからだ。
 事故の瞬間のことを、みづきはあまり覚えていない。気づいたときには、真っ青な顔をした母にかき抱かれていた。ただ、陽太のかけていた眼鏡が、雪の上で無残に轢き潰されていたことだけは、妙にはっきりと覚えている。
 陽太は駆けつけた救急車で病院に搬送されたが、意識を取り戻さないまま十日ほど後に息を引き取った。クリスマスの夜だった。
 みづきは、五歳にして現実を知ったのだ。サンタクロースなんて本当はいやしない。陽ちゃんを助けて、陽ちゃんの笑顔をもう一度見せてとあんなに願ったのに、みづきのその願いは聞き届けられなかった。それどころか、クリスマスのまさにその日に陽ちゃんは連れて行かれてしまった。
 サンタクロースなんていない。クリスマスなんて、碌なもんじゃない。
 その時から、みづきのクリスマス嫌いが始まったのだ。


 追憶から現実に意識を戻したみづきは、背後にある大時計に目を遣った。あと数分で六時になろうとしている。なのに、友人たちは誰一人として姿を現さない。
「帰りたい」
 そう呟いてはみたものの、パーティーに参加すると約束した以上、すっぽかすわけにもいかない。そんなことをしたら、友人連中に後で何を言われるか。友だち甲斐がないと責められるのは、みづきにとっても本意ではなかった。
 小さく息をつきながら、向かい側のベンチに視線を巡らせると、そこにはサンタクロースが立っていた。
 無論、本物のわけはない。どこかの店のアルバイトが、サンタクロースの扮装をしてチラシを配っているのだ。ヒゲは明らかに付けヒゲだし、眼鏡なんかかけているし、その顔はどう見たって若者のそれで、せいぜい大学生にしか見えない。
「バカみたい」
 思わず言葉がこぼれる。実在しないサンタクロースの、さらに偽物の格好なんかして、何になるっていうんだろう。今時、幼稚園児だってあんなものに騙されるわけないのに。
 隣でくすりと笑う声がして、みづきは思わず顔を向ける。そこには、一人の見知らぬ女の子がいた。
 みづきの視線に気づいて、彼女はあわてて笑いを引っ込めた。
「ごめんなさい、笑ったりして」
 謝罪の言葉を口にする少女は、みづきと同じくらいの年齢に見える──むしろ、みづきより幼く見える──が、彼女の身に着けている制服はみづきが来春受験しようと思っている高校のものだった。ということは、みづきより年上なのは間違いない。
 黙ったままでいるみづきに、彼女は再び話しかけてきた。
「サンタクロース、嫌いなの?」
「え」
 どうしてそんなことをと訝しがるみづきに、彼女は笑顔を見せた。笑うと一層子供っぽい印象を受ける。
「だって、あのサンタクロースを見て嫌そうな顔をしていたから」
 知らぬ間に見られていたことを知り、少しきまりが悪くなる。この人は、一体いつからここにいたんだろう。もしかして、陽ちゃんのことを思い出してしんみりした気分になっていたときにも見られていたんだろうか。
 ばつの悪さに、ついついぶっきらぼうな口調になってしまう。
「……別に。実在しないものに対して、好きも嫌いもないです」
 みづきの言葉に、彼女は小首を傾げた。
「サンタクロースはいないと思っているの?」
「思ってるんじゃなくて。いないって知ってるんです」
 ふうんと呟く様子から、彼女がみづきの答えに納得していないことが察せられた。逆に、みづきも訊いてみることにする。
「もしかして、あなたはサンタクロースの存在を信じているんですか?」
「ううん」
 にこやかに彼女は頭を振る。
「信じてるんじゃない。知ってるの、サンタクロースは確かにいるって」
「はあ?」
 思わず相手の顔を凝視してしまう。高校生にもなって、本気でそんなことを言っているとしたら、相当危ない人に違いない。あまり相手にしない方がいいだろうかとみづきが思いあぐねていると、彼女は内緒話でもするように声を潜めた。
「実はね、わたしサンタクロースに会ったことがあるの」
 みづきは絶句した。この人、大丈夫なんだろうか。いや、そんなにおかしな人には見えないけど、でも、人は見かけによらないとも言うし、だけど……。
 できるだけ好意的に解釈しようとして、みづきはかすかな記憶を手繰り寄せた。たしか、グリーンランドかどこかにサンタクロースの協会があると聞いたことがある。
「ええと、それってサンタクロース協会公認のサンタクロース、とか?」
 苦し紛れの言葉を絞り出すみづきに、彼女は口許をほころばせる。
「現実的で理屈の通った答だけど、ちょっと夢がないわね」
 そう言うと、彼女は急に真顔になった。真剣な顔をしている彼女は、それなりに高校生らしく見える気がする。
「あのね、わたしサンタクロースって人の願いだと思うの」
「はい?」
 突然観念的な話になってしまい、みづきは目を白黒させる。話の展開についていけない。形而上学的な問答をしようというのなら、多分この人は相手を間違っていると思う。
「あの」
 どうにか気を取り直して、みづきは尋ねてみる。
「どうしてそんな話を私にするんですか? 変な目で見られることになるかもしれないのに」
 あけすけな物言いに気を悪くされるかもと思いきや、意外にも彼女は温かみのこもった微笑みをみづきに向けた。
「あなたが、クリスマスが嫌いみたいだから」
「え」
 みづきはまたも言葉を失う。どうしてそんなことが分かるのか。サンタクロースの話はしたけれど、クリスマス自体が嫌いだなんて、彼女には一言も言っていないはずだ。
 みづきの表情からその疑念を見て取ったのか、彼女がその疑問に答える。
「サンタクロースのこともそうだけど、こんなに立派なツリーの前にいるのにあなたはまったく見ようともしてないでしょ。むしろ、見ることを避けているみたいに思える。クリスマスの待ち合わせにしては、やけに憂鬱そうだし……この広場にいる人たちの中で、わたしにはあなただけが別の世界にいるみたいに見えたの」
 みづきは大きな吐息を漏らした。少し躊躇ってから、一気に思いを捲し立てる。
「……確かに、私はクリスマスが嫌いです。大嫌いです。クリスマスなんかこの世からなくなってしまえばいいと思うくらいに。でも、それがどうしたって言うんですか。私がクリスマスを嫌いだと、誰かに迷惑をかけるとでも言うんですか」
「ううん、そんなことない。ただね」
 彼女は困ったように微笑むと、みづきの目をじっと見つめながら言葉を継いだ。
「わたしはあなたとは逆で、クリスマスが大好きなの。考えるだけで嬉しくなってしまうくらいにね。だから、あなたにも笑顔になってもらえたらなって思う。少しでも、あなたにクリスマスを楽しんで欲しいの」
 あまりにも真面目な口調で彼女がそう言うので、みづきは何だか可笑しくなった。
「変なの。お姉さん、もしかしてクリスマス普及委員か何か? それとも、クリスマス教の伝道師とか」
 そんなものがあるのかどうか知らないが、彼女の口振りにはそのくらいの直向きさが感じられる。
 みづきの他愛もない軽口に、それもいいかもねと笑みを返すと、彼女は徐にある提案を切り出した。
「じゃあ、伝道師である私の顔を立てて、今日一日だけサンタクロースを信じてみない?」
 牽強付会もここまでくればいっそ清々しい気さえする。みづきは、自分でも意外なことに、この奇妙な女子高生の口車に乗っても良いような気分になっていた。いつの間にか、彼女の術中に嵌っていたのかも知れない。
「信じるって、でも具体的に何をしたらいいの?」
「簡単よ。サンタクロースは本当にいるんだって考えるの。そして、真剣に願うのよ」
「願うって」
 何を、というみづきの問いは、彼女に目顔でさえぎられた。
「サンタクロースにする願い事と言ったら、決まってるでしょう」
 彼女の言う通りだった。──クリスマスプレゼント。それ以外、何があるというのだろう。みづきだって、十年前までは毎年真剣にプレゼントをお願いしていたのだ。この十年間というもの、そんなことからはすっかり遠ざかっていたけれど。
 と、背後の大時計からメロディが流れ出し、六時になったことを報せた。
「わたし、そろそろ行かなくちゃ」
 彼女が慌てて立ち上がった拍子に、鞄の中から何かがみづきの足元に転げ落ちた。何気なく拾いあげてはじめて、それが生徒手帳であることに気づく。別に中を見るつもりはなかったけれど、ページが開いた状態で落ちていたために、拾ったはずみに彼女の写真と名前が目に飛び込んできた。
 吉野千章──それが彼女の名前であるらしい。
「よしの、ちあきさん?」
「『ちふみ』と読むのよ」
 みづきが差し出した生徒手帳を受け取りながら、彼女は歌うように呟く。
「幾千もの言葉、そんな意味を込めて父が付けてくれた名前なの」
「素敵な名前ですね」
 みづきの言葉に、千章は嬉しそうな笑顔で返す。無邪気に笑う彼女は、やっぱり随分幼く見えた。

「変な人」
 千章がその場を去った後、みづきはそっと呟きを漏らした。
 高校生にもなって、サンタクロースを本気で信じている人なんて、初めて見た。本人は、会ったことがあると言っていたけど、そんなことある訳がない。実在しない人物に、どうしたら会えるというのか。
 それでも──
 今日だけは信じてみようかという気になったのは、別に彼女に感化されたという訳ではないと思う。どうせ、あと数時間で今日も終わる。その間くらいなら、信じるフリをしたところでどうということもないだろう。
 それに、この後には気の進まないクリスマスパーティーが待ち構えているのだ。こうなったらもうやけくそ、サンタクロースでも何でも来てみろという気分だった。
 みづきは目を閉じると願い事を思い浮かべた。サンタクロースにねだるプレゼントと言ったら、決まっている。
 ──陽ちゃんに、もう一度会わせてください。
 十年前と同じ願いを心の中で繰り返す。聞き入れられなかった、十年越しの思い。もしも本当にサンタクロースがいるというのなら、私の望みを叶えて見せてよ。
 幾度かの繰り返しののち、みづきはゆっくりと目を開けた。
「……馬鹿馬鹿しい」
 自虐的に独りごちる。こんなことをしたって、死んだ陽ちゃんが帰ってくる訳もないのに。私、何をやってるんだろう。
 ふと人の気配を感じて顔を上げると、そこにはサンタクロースの姿があった。勿論本物ではなく、先程からチラシを配っている学生アルバイトだ。
 ビラ配りのアルバイトが自分に一体何の用があるというのか。怪訝に思い見上げるみづきに、サンタクロースが右手を差し出した。
 チラシなんていらないと断ろうとしたみづきだったが、その手に乗せられていたのはそういった類のものではなかった。夜を思わせる深いブルーの包装紙と純白のリボンで飾られた箱。それはまるでみづきへのクリスマスプレゼントのように見える。
 訳が分からず首を傾げていたら、包みを無理矢理押しつけられた。軽々と持っているように見えたその箱は、みづきの両手の中で意外なほどずっしりと重量感を主張する。
「……私にくれるの?」
 ためらいがちに尋ねてみると、サンタクロースはうんうんと頷いた。眼鏡の奥で細められた目はとても優しげで、何故か懐かしさを覚える。前にどこかで会った事があるか聞こうと口を開きかけて、慌てて首を振る。それじゃ、安っぽいナンパみたいだよ。
「ありがとう」
 できる限り素っ気なくお礼を言ったら、サンタクロースに頭を撫でられた。子供扱いされているように思えたけれど、不思議と不快感はなかった。むしろ、その感触は妙に心地よくて、ずっとそうしていて欲しいとさえ思う。
 しばらくの後、サンタクロースが撫でる手を止めてみづきの手の中の包みを指し示した。どうやら、包みを開けてみろということらしい。
「今? ここで?」
 サンタクロースの笑顔に促され、みづきは結び目に手を掛けた。なめらかな手触りのリボンは苦もなく解け、膝の上に滑り落ちる。包み紙を破かないよう慎重にテープを剥がして箱を取り出すと、そっと蓋を開ける。
 その瞬間、みづきは思わず声をあげそうになった。心臓の激しい鼓動を感じながら、箱から中身を取り出す。緑色の、ツリー形のガラスの小瓶。その中には色とりどりの金平糖が溢れんばかりに詰まっている。
 間違いない。十年前にみづきがサンタクロースにねだろうとしたものだ。陽太の事故のせいで、両親にも伝えられないまま忘れ去られたプレゼント。みづきがこれを欲しがっていたことを知っているのは、みづき本人と陽太だけで──
「……陽ちゃん?」
 そうだ。どうして気付かなかったのだろう。眼鏡越しの優しい眼差し。愛おしむようにみづきを撫でる手のひら。もしも陽太が生きていたら、今頃は大学生のはず。もしかしたら、アルバイトだってしていたかもしれない。例えば、駅前でビラ配りとか。
 このサンタクロースは、陽太だ。あの日の事故がなければ、ここにいたはずの陽太だ。懐かしく感じるのも当たり前、あの手を、あの笑顔を、みづきは忘れたことなどなかったのだから。
 顔を上げてあたりを見回す。けれど、サンタクロースの姿はもうどこにも見あたらない。まるで、先程の出来事は幻だったとでも言うように。
 でも、幻なんかじゃない。みづきの手に残るガラス瓶の確かな重みが、力強く物語っている。陽太は確かにここにいたのだ。ほんの一瞬だったけれど。
 みづきは金平糖の瓶をしっかりと抱きしめた。
 十年前に抱いた二つの望み。金平糖と、陽ちゃんの笑顔。その願いを叶えるのに十年もかかるなんて、みづきのサンタクロースはいくらなんでも暢気すぎだ。
「……遅いよ、大遅刻だよ」
 サンタクロースへの抗議を苦笑混じりに震える声で口にした途端、ごめんねと勢いよく謝られて、みづきは目を丸くする。知らぬ間に、みづきの周りには友人たちが顔を揃えていたのだ。
「ケーキ屋さんが混んでて、遅くなっちゃったんだ」
「雪の中長い時間待たせちゃって、本当にごめんね」
 口々に詫びの言葉を投げかけられ、みづきはただただ首を振るだけだ。
「ごめんね、泣くほど寒かったんだね」
 違うと言いたかった。そんなことで泣くほど子供じゃない。自分を泣かせたのは、遅れてきたサンタクロースだ。だけど。
 みづきは、涙の理由を自分の胸の奥に仕舞い込んでおくことにした。誰かに話してしまったら、何もかもが夢と消えてしまいそうな気がしたからだ。
「そろそろ行こっか。いつまでもここでこうしてたら、本当に凍えちゃうよ」
「すっごく美味しいケーキ買ってきたから。期待していいよ」
 気遣うように話しかける友人たちに頷いてみせると、みづきは箱と包装紙とリボンを鞄に仕舞い、ガラス瓶を大切そうに抱えたまま立ち上がった。涙の跡の残る顔に笑みを浮かべて、声を弾ませる。
「クリスマスパーティー、楽しみだね」
 友人たちが皆驚きの表情で振り返る。クリスマスを嫌悪していたみづきの口からそんな言葉が出たことが、心底意外だったようだ。
 みづきは素知らぬ顔で言葉を継ぐ。
「私、クリスマスケーキも十年ぶりだよ。どんなの買ったの?」
 みづきの態度の変化に戸惑っていた友人たちも、次第に笑顔を取り戻していった。
「……それは、見てのお楽しみ!」
「味は保証付きだから。楽しみにしてて」
 にこやかに語り合いながら、みづきと友人たちは駅前広場を後にする。
 みづきはそっと後ろを振り返った。降りしきる雪の中、大きなクリスマスツリーが華やかな姿でみづきたちを見送っている。
 金平糖の瓶を持つみづきの手に力がこもる。本当は、クリスマスのことを口にする度、まだ少し胸が痛む。心の底からクリスマスを楽しむことは、今のみづきにはできないだろう。だけど、焦らなくていい。楽しかった思い出を辿りながら、少しずつ乗り越えていけるはず。
 ──陽ちゃん、それでいいんだよね?
 みづきのそんな問いかけに、大きなツリーの天辺で、金平糖みたいな黄色い星がかすかににじんで揺れていた。


クリスマスなんか大い ─終─



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